タイプライターに魅せられた男たち・第71回

谷村貞治(11)

筆者:
2013年2月7日

結局、ウェスタン・エレクトリック社との技術提携は果たせたものの、谷村にとっては、多少、不本意な結果に終わりました。新興製作所の独占契約ではなかったのです。つまり、ウェスタン・エレクトリック社は、日本の他社との技術提携の余地も残しつつ、新興製作所と技術提携を結ぶことになりました。実際、沖電気工業も、ウェスタン・エレクトリック社と技術提携契約を結んでおり、1953年11月には「和欧文印刷電信機」を発表してきました。谷村も、うかうかしては、いられません。朝日新聞社とともに、次の目標である「漢字テレタイプ」を完成すべく、技術開発を進めていきました。

朝日新聞社は「漢字テレタイプ」においても、6穴の鑽孔テープを使って通信することを考えていました。そうすれば、既設の「和文印刷電信機」や「和欧文印刷電信機」と同じ電信路を、「漢字テレタイプ」にも流用できるからです。6穴の鑽孔テープでは、1列あたり26=64通りの鑽孔パターンしかなく、しかも削除「●●●●●●」(++++++)と無孔「○○○○○○」(------)は文字には使えないので、残り62種類の鑽孔パターンしか使えません。「和欧文印刷電信機」では、62種類の鑽孔パターンのうち42種類を文字に使い、残りのうち3種類を「3段シフト」に使うことで、最大42×3=126文字を実装可能でした。しかし「漢字テレタイプ」では、このやり方は難しそうでした。たとえば、62種類の鑽孔パターンのうち、31種類を文字に使い、残り31種類を「31段シフト」に使ったとしても、最大31×31=961文字しか実装できません。当用漢字1850字すら、半分ほどしか実装しきれないのです。

谷村たちは、多段シフトによって「漢字テレタイプ」を実現する方法をあきらめ、別の道を探ることにしました。具体的には、6穴の鑽孔テープ2列で1文字を表すやり方を、模索したのです。64種類の鑽孔パターンのうち、「×●●●××」あるいは「×○○○××」にあたる16種類を除いて、残る48種類を文字に使うことにすれば、鑽孔テープ2列で48×48=2304字を表現できます。「漢字テレタイプ」に収録する2304字は、朝日新聞社に選定してもらうことにして、さて、どんな送信機を設計すればいいのか。まさか、2304個もキーのあるタイプライターを作るわけにはいきません。試行錯誤の末、谷村は、192個のキーと、12個のボタンを持つキーボードを設計しました。

「漢字テレタイプ」のキーボード概念図

「漢字テレタイプ」のキーボード概念図

192個のキーには各々12字ずつが収録されていて、左手の12個のボタンでキー上の文字の位置を選びながら、右手でキーを押すというものです。これで、192×12=2304字が収録できる上に、鑽孔テープ2列で表現される文字コードとも、簡単に対応がつきます。キー配列の設計は朝日新聞社が担当し、それにしたがって文字コードが決まっていきました。

朝日新聞社の「漢字テレタイプ」文字コード表

朝日新聞社の「漢字テレタイプ」文字コード表

谷村貞治(12)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。