日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第28回 口のゆがめ方について

筆者:
2013年2月17日

マンガ『ドラえもん』における「3の口」を取り上げて前回述べたのは,マンガで描かれる「口のとがらせ方」にも,文章で描かれる「口のとがらせ方」と似たことが観察できるということである。

だが,マンガで描かれる「口のとがらせ方」が,文章で描かれる「口のとがらせ方」とまったく同じというわけではない。やはり『ドラえもん』から例を挙げれば,「アスレチック・ハウス」(第19巻所収, p. 8, 小学館, 1980)では,肥満気味の主婦の口が3の口になっている。肉付きのよい両ほほに押される形で口が突出している様子を描いたものだろう。そしてまた,肥満とは対極にありそうなスネ夫やその母の口は,しばしば3の口で,しかし直線で鋭角的に描かれる。ひとくちに表現キャラクタといっても,このようにことばの場合とマンガの場合では微妙なズレがある。

さて,「口をとがらせる」のは,通常から外れた口構えをとることだから,物理的には「口をゆがめる」ことの一種と言えるはずである。だが,「口をゆがめる」と言えば普通,「口をとがらせる」とは別の口構えや,その口構えによる発声を指す。そこには,「口をとがらせる」場合とはまた違った情意の広がりと奥行きがある。「口のとがらせ方」を取り上げたついでに,「口のゆがめ方」についても見てみよう。

酸っぱいものや渋いものを口にして,思わず「口がゆがむ」「口をゆがめる」ということと関係しているのだろうが,「口をゆがめる」とは嫌悪や侮蔑,あざけり,そのあたりのふるまいと考えてよさそうである。たとえば次の(1)や(2)を見られたい。

(1) 「ファンなんです。先生の音楽評論のファンなんです。このごろ,あまりお書きにならぬようですね。」
「書いていますよ。」
 しまった! と青年は,暗闇の中で口をゆがめる
[太宰治『渡り鳥』1948]
(2) 「家内の様子は,たいてい娘が探って来たそうだよ。それも,侍たちの中には,手のきくやつがいるまいという事さ。詳しい話は,今夜娘がするだろうがね。」
これを聞くと,太郎と言われた男は,日をよけた黄紙(きがみ)の扇の下で,あざけるように,口をゆがめた
「じゃ沙金(しゃきん)はまた,たれかあすこの侍とでも,懇意になったのだな。」
[芥川龍之介『偸盗』1917.]

まず,(1)の青年が「口をゆがめる」きもちとは,「オレって奴は……」のような自嘲の中に,「なんてこった」のような状況への嫌悪も入っていそうである。また,(2)で「口をゆがめた」太郎の心中にしても,沙金に対するあざけりの中に,こんな女に惚れてしまったという自嘲が混じっていると思えないこともない。つまり「口をゆがめる」という行動を考えるにあたって,嫌悪・侮蔑・あざけり,そのあたりは特に分けておかなくてもよいのではないかということだが,いずれにせよ,「口をとがらせる」ことが不平・不満・抗議の行動であったのとは,大きく違っている。

落語『次の御用日』には,商家のお嬢様が丁稚の常吉をお供に,稽古事に向かう場面がある。お供といっても丁稚は(そしてお嬢様も)まだ子供なもので,道々,丁稚がお嬢様(大阪弁で「とうやん」)をからかったりする。次の(3)のような具合である。

(3) 常吉: とうやんどんなご養子さんをおもらいで。どんなご養子さんをおもらいなはる。
娘: いらんこと言うもんやあれしまへん。黙ってお歩き。
常吉: [娘の真似をして]だ,黙ってお歩き。
娘: 去(い)んでお母はんに言いまっせ。
常吉: [娘の真似をして]去(い)んでお母はんに言いまっせって。
娘: またあんなこと言うて。
[『枝雀落語大全第十八集』EMIミュージック・ジャパン, 1983年収録.]

このうち,娘の発音は普通の発音だが,娘をからかう常吉が「黙ってお歩き」「去んで(帰っての意)お母はんに言いまっせ」と娘の真似をして言う部分は,ことさらに口をゆがめた形で発音されている。このことも,からかいがあざけりに近いと考えれば理解できるだろう。

ところが,では「口をとがらせる」と「口をゆがめる」が発音法においてはっきり区別できるかというと,そういうわけではない。「口をゆがめる」発音の様子をMRIで見てみよう。例によって,口の断層写真をクリックしてもらいたい。

ハイ,ようこそ。ここは「口をゆがめた発音」のページです。このページには口の断層写真が左右に2枚並んでいますね。右の写真をクリックすると,口をゆがめた発音「オレはええねんけどな」が視聴できます。左の写真は対比のために準備したもので,クリックすると,口がゆがまない普通の「オレはええねんけどな」が視聴できます。

なぜ「オレはええねんけどな」なのかというと,これは私が列車の中で実際に漏れ聞いた発言だからです。発言の主はOL風の若い女性で,やはり同年配の女性を相手に「『経理が何言いよるやろ。オレはええねんけどな』て,こんなん言うんよ」と,上司らしい男性の発言を,さも卑怯ないやらしい発言であるように,口をゆがめて引用・実演していらっしゃいました。それがいかにも真に迫っていたもので,私は「すみませんがいまのご発言,もう一度お願いします。録音させていただければ……」と申し出ようとも思ったのですが,さすがに無理だろうと思って黙って引き下がり,その代わりMRIで観察する発言はこれでいこうと堅く決めたのです。なに,関西弁? そんなことはあなた,仕方ないでしょうが。きもちのこもった発言はどうしても方言になりがちだし,先ほどの(3)だって上方つまり関西の落語でしょう。「口をゆがめた」発言に関するかぎり,共通語と関西弁が全然違うということはないんじゃないですか。

さて,そうやって比べてみると,左の口と違って右の口は,口が突き出されていますね。「口をゆがめる」と「口をとがらせる」は,舌が前寄りか(「口をゆがめる」場合),否か(「口をとがらせる」場合)という違いはあっても,実は結構似ているとも言えそうですね。

なーんて具合に,落語の音声やMRIデータやらを観察して,私は「口をゆがめる」という発音法も,それなりに理解したつもりでいた。観察が混乱していると気づいたのは,つい最近のことである。では,何がどう混乱しているのだろうか? (つづく)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。