漢字の現在

第265回 中国の姓名の漢字

筆者:
2013年3月27日

北京でのその研究会では、「乱」に異体字が55種類あるという質問者もいた。また、シンガポールやマレーシアに行くと、華僑らによって繁体字、簡体字、独自の文字が入り乱れているようだ。

言語文字の専門紙(報紙)の記者か編集者も来て、名刺を渡していた。編集は日本とは立場が違い、書評まで行う。そして中国の研究者はとにかく精力的だ。国家の予算の規模も違うそうだ。

中国の若い研究生(院生)が発表したことに対して、中国の著名な先生が途中で漢字の読み方が違う、そして終わった後には新しい内容がなかったと叱責なさっていた。健全な姿であろう。具体性がない場合、よほどの論でないと説得力を持たない。漢字はきれい事や空論では済まないものである。かといって、個別具体の例に振り回されてもいけない。新発見を求めないような発表は、独創性に欠け、確かに続けるのが苦しそうだ。

いくつかの発表に、日本の「常用漢字表」が紹介されるが、1945字となっているなど古い。2135字となっているのは惜しかった。ただ、字種だけの相互比較は、用法や表の性質、各言語での表記体系の現状から見てそもそもあまり意味を持たないのだが、やはり気になる。日本は、中国から見ると韓国よりも一層遠く映る、距離が感じられる国であるようだ。

こうした会には、学ぶ点も多い。刺激的であるし、交流も持てる。

中国語のレジュメでは、「等」の使い方にあいまいなところがある。複数ある例をすべて列挙し終えていても付けるようだ。日本では、公文書などで安全弁としても機能している。

パワーポイントは、撮影をするタイミングが難しい。これで最後かと思うと、行が末尾に追加されることもある。では、まだあるかと待っていると、すぐ次に変わって、先に行ってしまうこともある。急いで何枚も飛ばすものもある。

休み時間を経て、名刺など溜まっていくが、写真が付いていないと顔と名前が一致しにくく混乱する。この名刺は、中国語では「名片(ミンピエン)」、韓国語では「ミョンハム(名銜)」と、漢語の2字目がまちまちになっている。

今回、参加した150人中、日本人は私だけらしく、名前が唯一4字で突出してしまっている。中国の少数民族の姓名のようだ。本来は訓読みという人も私だけだ。

そんな中でも、氏名には特徴や傾向が見られた。ここに挙げてみよう。

冷  テレビでこの姓があった。最後の3画は一フ丨となっていた。
   
(日×火) 
(日×火)
中・韓では、女性の名にこの字が見受けられる。
   
巫  姓に見た。
   
暴  これも姓に見た。
   
賈  姓にあった。「かっこいい」と中国の人が言ったが、「仮」に通じるといって下にくる名前によっては嫌がる人もいるそうだ。
   
牛  会場でお茶を入れる女性の名札にあった姓。中国では、けっこういるそうだ。日本にも「牛野」さんなどはいる。漫画家の牛 次郎はペンネームで、本名は牛込だそうだ。
   
(豐+去×皿) 
(豐+去×皿)
予稿集に繁体字で印刷されている中国人女性の名にあったが、ふだんの簡体字では、3分の1の10画にまで減る。日本では「艶」の形で常用漢字表に追加され、旧字体も「艷」とされた。

   
椿  名前に見たが、字義はツバキではなく、チャンチンか霊木である。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。