「百学連環」を読む

第104回 分光分析もまた

筆者:
2013年4月12日

続きを読んで参りましょう。

さすれは銀河の傍ラなる霧斑てふは、未た世界にも何にも成立たさる所の元の物たるを近來西洋にて考へ得たり。是卽ち陰表の終に陽表の理を得たるなり。

(「百學連環」第41段落第8文~第9文)

 

では訳してみましょう。

そういうわけなので、近年の西洋では、銀河の傍らにある星雲というものは、いまだそこには世界も何も成り立っていない物質であろうと考えるようになった。これはつまり、消極の理から、ついには積極の理が得られたということである。

目下は、なんの役に立つか分からない消極的な理であっても、そこから積極的な理を得られるという議論の途中でした。そこで西先生は、「星雲(霧斑)」という、宇宙について知る上では消極的なものと考えられていたものを例に挙げていたのでしたね。

しかし、近年の西洋では、星雲を地球のような世界が成立する以前の物質であると考えるようになったというわけです。このくだりの「世界」という言葉の使い方を見ていると、これは私たちが普通に連想する地球上の世界というだけでなく、天地のような、ある種の物理的構造を指している様子が窺えます。つまり星雲とは、そういう構造ができる前の物質だという見解が出てきたという次第です。

そんな具合に、最初はなんだか分からなかった星雲でしたが、観測を重ね、考えを発展させてゆくに従って正体が分かってくる。消極の理が積極の理に至るとは、どうやらこのような意味であることが見えてきました。

ここで西先生は、もう一つ、宇宙に関連する別の例を出します。

近來獨逸のブンテンなる人の發明の Spectrum Analysis とて、物の元素を目鏡にて分解することを得たり。夫よりして次第に究理し、終に太陽の何物より成立しといふを知るに至れり。其太陽の中、金、銀、鐵、鉛等の元素あるを知ると雖も、更に是を人の取る能はす。さすれは是を知るも陰表に屬すといへとも、我か國俗に天照大神は日輪なりと唱へしも、爭てか金、銀、銅、鐵の沸騰する火炎の中に神のおはすへき理なきを知る。是亦陰表を知るの用ある所なり。

(「百學連環」第41段落第10文~第14文)

 

この文中、「元の物」の右には matter と、Spectrum Analysis の左には、それぞれ「觀光」「分解術」と添えられています。ここで参照している文章はもともと縦書きで印刷されているものなので、その「右」や「左」にルビのように添えられているわけです。訳せばこうなりましょうか。

近年、ドイツのブンゼンという人が発明したスペクトル分析では、物質の元素をレンズによって分解することに成功した。そこから次第に研究を進めて、ついには太陽がどんな物質からできているかということを知るに至ったのである。太陽には、金、銀、鉄、鉛などの元素が含まれていることが分かった。とはいえ、人がこれらの元素そのものを〔太陽から直接〕採ることはできない。そういうわけで、こうしたことを知るのもまた消極に属すことである。ところで、我が国で俗に「天照大神は日輪なり」と言うが、どうして金、銀、銅、鉄が煮えたぎっている火炎の中に神がいらっしゃるなどということがあるだろうか。これ〔迷信を退けること〕もまた、消極を知ることが役立つ場面である。

今度は、ドイツの化学者、ローベルト・ヴィルヘルム・ブンゼン(Robert Wilhelm Bunsen, 1811-1899)による分光研究の例です。以前もお世話になった桜井邦明氏の『新版 天文学史』(ちくま学芸文庫、2007)を参考に、ここでの議論の文脈をごく簡単に確認しておきましょう(さらにご関心のある向きは、同書をご覧あれ)。

太陽の光をプリズムに通すと現れる光の帯を「スペクトル」と名付けたのはニュートンでした。この太陽光のスペクトルを、どのように解釈したらよいかということが問題となり、数々の探究が重ねられます。そうした研究を Spectrum Analysis と呼ぶのですが、西先生はこれを「観光分解術」と見事に訳していました。「観光」というと、いまでは景色を見に旅することですが、これはそういう意味ではなく、「光を観る」という含意でありましょう。当世風に言えば「分光分析」のことです。

ここで名前の挙がっているブンゼンは、キルヒホッフとともに、太陽スペクトラムから、その光源、つまり太陽がどのような元素からできているかを特定する手法を編み出しました。1850年代のことですから、「百学連環」講義の時点(1870年)から見て、十数年前、まさに「近來」の出来事です。

さて、それに続く議論が、ちょっと面白いところ。スペクトラム分析で太陽の組成が分かります。でも、太陽からそれらの物質を取ってくることはできない。西先生は、だからこの太陽の組成の知識も「陰表(消極)」であるというのです。この説明を読むと、直接知ることはできないが、間接に分かることを「陰表(negative)」と言っているようにも思えてきます。

そして、最後には、俗に「天照大神は日輪なり」というけれど、ブンゼンたちの研究によって消極的に判明したことと照らし合わせれば、太陽のようなところに神がいるわけがないことが分かるだろうと指摘しています。

ここには、学問(科学)的説明によって、神話的説明を批判するという思考の動きが現れています。後に「妖怪博士」井上円了(1858-1919)が全面的に展開した「妖怪学」を連想させるものでもあります。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。