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談話研究室にようこそ 第51回 『アバター』に見るキャスティングの偏り(ふたたび)

2013年 4月 18日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第51回 『アバター』に見るキャスティングの偏り(ふたたび)

 この映画において,アバターを操る主人公たちとナヴィは協調して地球人(RDA社の傭兵部隊)と戦います。しかし,最初からアバターがナヴィにすぐに受け入れられるわけではありません。実際,ナヴィとの最初の出会いで主人公ジェイクは,すぐに受け入れてもらえるどころか,危うく殺されるところでした。姿かたちは似ていても,(ジェイクが操る)アバターはナヴィにとって他者なのです。

 しかしジェイクは,ナヴィの文化風習を学び,母なる自然を重んじるその思想を理解していくなかで,次第にナヴィに受け入れられていきます。そして物語の最後において,ジェイクは衛星パンドラの自然神エイワの力を借りて,人間の肉体を捨て,アバターの身体と永続的に結びつきます。身も心もナヴィに同化するわけです。

 つまり,主人公ジェイクとナヴィは,最初は対立関係にありますが,その関係は対立から協調,そして完全な融合へと変化するのです。この過程を効果的に描くには,アバターとナヴィが,物語の前半において対立的に分け隔てられることが必要なのです。当初の対立が協調や融合を引き立てるのです。だから,外見上似ているアバターとナヴィを区別しなければなりません。

 その区別を明確にする手段のひとつが服装で,ナヴィがエキゾティックな半裸の姿であるのに対し,アバターはシャツにズボンといった恰好です。(そして,主人公ジェイクがナヴィと同じ服装をすることで,同化の過程が見た目にも分りやすく表現されます。)

 また,前々回には触れませんでしたが,ナヴィの3人が話す英語は,アバターを操るジェイクやグレースに比べると流暢さを欠きます。なかでも,ナヴィの若いリーダー,ツーテイの発音と声質は,アフリカ系アメリカ人であることを強く想起させるもので,ジェイクやグレースの英語とは一線を画します。ことばも区別のアクセントになっているのです。

 このような演出上の手法に加えて,ナヴィにはマイノリティの俳優が割り振られ,アバターについては白人の役者が演じる,といった配役上の偏りが見られました。

 このキャスティングの偏りは,すべての観客によって明確に意識されている,というわけではないようです。英語母語話者の同僚数名にこの話をしましたが,彼らは指摘されてなるほどと気づいたようでした。

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 このキャスティングで利用されているのは,マジョリティのアメリカ人が共有する人種の距離感です。まず,自分たち白人がいて,アフリカ系やネイティブアメリカンがいる。その距離感――白人対非白人の対立と言ってもいいでしょう――をナヴィと(アバターを操縦する)地球人との違いを表現するために用いたのです。

 日頃当たり前のように意識する距離感(対立軸)だけにアメリカ国民のマジョリティにはなじみやすく,(また,ナヴィを演じる役者の素顔が見られるわけではないという事情もあって,)映画でそれとなく利用されていると気づきにくいのです。

 もしも,このキャスティングを逆転させたらどうなるでしょうか。つまり,アバターを操る地球人がすべてマイノリティで,ナヴィが白人という配役です。そのようなキャスティングはとても目立ちますし,違和感を引き起します。観客の多くが慣れ親しんだ型(文化の鋳型)から外れるからです。観客に対する説明が必要となり,ストーリーを展開するうえで障害となることは明らかです。

 では,中庸を行く配役はどうでしょうか。ナヴィとアバターのキャスティングを人種的にバランスの取れたものにするアイディアです。差し障りのない配役ですが,物語のテーマである対立と協調を引き立てるのには役立ちません。

 実際には,人種的に偏りのあるキャスティングが採用されました。ナヴィの持つ他者性を表現するのに人種の別を利用したのです。ナヴィの姿はCG合成を通して提示されるだけに一見して明らかという表現ではありませんが,異星人という究極の他者を日常的な他者性の経験——白人か非白人か——を用いて表わしたわけです。観客の多くが無意識のうちに受け入れてしまうだけの説得力がこのキャスティングにはある,と製作者が判断したのだと思います。

 これは,当該のマイノリティにとって居心地のよい配役ではありません。マジョリティに対する説得力を優先したキャスティングです。商業的成功を主眼に置くなら,理にかなったやり方とも言えるでしょう。『アバター』の製作者は,大多数の観客に対する分りやすさを選んだのです。これはハリウッド的な選択でもあります。

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【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

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【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

2013年 4月 18日