タイプライターに魅せられた女たち・第77回

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(2)

筆者:
2013年4月18日

ロングリー夫人が表音綴字法を実践する間にも、夫エリアスは、新たな著作『American Manual of Phonography』(1853年)を出版しています。この著作は、表音綴字法の応用として、表音速記法をマニュアル化したものでした。この速記法は、24種類の子音を表す直線や曲線に、18種類の母音をあらわす点や短線を付加する、というやり方で、話者の発音をそのまま速記するものでした。子音と母音は「w」に関するものを除いて、表音綴字アルファベットと1対1に対応していました。

ロングリー式速記法の子音・母音

ロングリー式速記法の子音・母音

ロングリー夫人は、夫エリアスの議会速記や裁判所速記を反訳していく中で、自らも表音速記の腕を上げていきました。さらには、シンシナティや周辺で開催される講演会に出かけていき、速記録を取って、雑誌『Wɛcli Fɷnetic Advɷcet』や『Type of the Times』に掲載しました。ただ、ロングリー夫妻の速記の仕事は、必ずしも多くなかったようです。というのも、この頃、ベン・ピットマン(Benjamin Pitman)という人物が、シンシナティに表音速記専門学校を設立し、速記者を多く輩出し始めたのです。ベン・ピットマンは、兄アイザック(Isaac Pitman)が考案した表音速記法を教授していたのですが、実はロングリー式速記法も、アイザックの表音速記法を独自に改良したものでした。ある意味、ベン・ピットマンの方が本家に近いわけで、なかなかロングリー式速記法は広まらなかったのです。

1855年10月17日、シンシナティのスミス&ニクソン・ホールで開催された第6回NWRC (National Women’s Rights Convention)に、ロングリー夫妻は参加していました。NWRCは、アメリカ女性の権利向上を謳って、1850年10月にマサチューセッツ州ウォーセスターで、第1回大会が開催されました。その後、ウォーセスター、シラキューズ、クリーブランド、フィラデルフィア、と毎年開催されてきて、第6回がシンシナティだったのです。満員のホールで、ルーシー・ストーン(Lucy Stone)がおこなった演説は、非常に衝撃的でした。

物心ついて以来、私はずっと「失望した女性」でした。私が、私の兄弟と共に、知識の源へと向かおうと、辿り着こうとすると、決まってこうたしなめられるのです。「それは、あなたにはふさわしくない。それは女のものじゃない。」その頃、女性の入学を許可している大学は、世界中にたった一つしかなくて、それもブラジルにありました。私の進む道はそこにしかないと思い、行く準備を整えたところ、若いオハイオ州にもう一つ開校しました。アメリカ合衆国で初めて、女性も黒人も、白人男性と共に学ぶ機会を与えてくれた大学でした。

私が、不滅の存在にふさわしい仕事を探そうとした時も、やはり失望におそわれました。全ての、ほとんど全ての雇用が、私に対して門を閉ざしていました、教師と、裁縫師と、家政婦を除いては。教育において、結婚において、宗教において、全てにおいて、失望は女性の運命です。

この失望を、女性たちの胸に、深く深く刻むことが、私の一生の仕事なのです。それは、女性たちが、失望にひれ伏さなくなるその日まで続くのです。私は、全ての女性たちが、歩くショーケースとなる代わりに、流行のかわいい帽子を父親や兄弟にねだる代わりに、女性たちの権利を、彼らに要求してほしいのです。

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(3)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。