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談話研究室にようこそ 第52回 青い肌の「白い救世主」の物語

2013年 5月 2日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第52回 青い肌の「白い救世主」の物語

 これまでに確認してきたように,『アバター』では配役における人種のバランスに偏りがありました。この偏りは偶然生じたわけでありません。意図されたものです。そのことは,以下のせりふのやり取りからも窺い知ることができます。

(69) Jake: Brother, please. Do not attack Sky People. Many Omaticaya will die if you do.
Tsu’tey: You’re not my brother!
ジェイク: ブラザー,頼む。スカイ・ピープルを攻撃するのはだめだ。戦えば,大勢死ぬことになる。
ツーテイ: お前,ブラザーじゃない。

 スカイ・ピープルというのは,空から宇宙船に乗ってやってきた地球人のことです。オマティカヤ(Omaticaya)は,ツーテイやネイティリが属するナヴィの部族名です。彼らは自分たちのことをオマティカヤと呼び習わしています。

 貴重な鉱物資源に目がくらんでナヴィの神聖な森を踏みにじり破壊した人類に対し,ツーテイをはじめとするオマティカヤ族は戦いを挑もうとします。しかし,強力な兵器を有する人類との戦力差は傍目に明らかです。ナヴィの文化・生活様式を体得し,正式に仲間と認められたはずの主人公ジェイクは止めに入ります。

 このとき,ジェイクはツーテイに対し”Brother”(「ブラザー」)と呼びかけます。しかし,ジェイクに反感を持つツーテイは”You’re not my brother!”(「お前はブラザーではない」)とそのような呼びかけを拒否します。両者の対立は,アバターとナヴィとの対立でもあります。すでに仲間と認められたとはいえ,ジェイクはアバターという人工身体を駆る存在であり,ナヴィと同一ではありえません。

 このbrotherは,おもに黒人の男性が同胞意識を確認しながら呼び合うことばです。調子のいい白人が黒人に対しなれなれしくブラザーと呼びかけて,黒人に拒絶されるシーンを映画で何度か見たことがありますが,上のやり取りはそのような場面を彷彿させます。

 つまり上の場面では,現実における白人と黒人の関係を下敷きにして,アバターとナヴィの対立を表現しているのです。ここでも,ストーリー上の対立を分りやすく提示するために,アメリカ国民が日常で体験する人種間の対立関係が意図的に利用されています。

 さて,これまでキャスティングにおける人種の偏りについて取り上げてきましたが,映画『アバター』で人種に関してつとに指摘されるのは,ここで取り上げたキャスティングの偏りというよりは,この映画が「白い救世主」(white savior)の物語であるという点です。

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 白い救世主の物語とは,白人のヒーローが自分よりも文化的に劣る(と考えられている)民族(の一員)を窮地から救い出す物語のことです。映画で言えば,『アラビアのロレンス』『王になろうとした男』『ダンス・ウィズ・ウルブズ』『グラン・トリノ』などがその例です。日本を舞台にしたものとしては(典型的なものとは言えませんが)『ブラック・レイン』や『ラスト・サムライ』があります。

 このような物語が成立する背景にあるのは,白人文化の他に対する優位性です。とても大ざっぱに言えば,送信者と受信者はこの物語を通して白人の優位性を(無意識のうちに)確認し合うわけです。(『ブラック・レイン』を観たとき,主役のマイケル・ダグラスよりも敵役の松田優作に肩入れしてしまいましたが,それはこの映画の背景にあるものの見方に,日本人である私が反発を感じていたからかもしれません。)

 『アバター』では物語の終盤,居住地域を奪われて打ちひしがれるナヴィを救うべく,主人公ジェイクがリーダーとして再び立ち上がります。彼のアバターのからだは青い肌をしていますが,ナヴィを鼓舞し導く彼は典型的な白い救世主です。

 『アバター』が白い救世主の物語として少しだけ新しいところは,物語の結末で主人公ジェイクが人間の肉体を捨てて,異民族の神的存在の力によってアバターの身体に完全に融合する点です。つまり,白人としてのアイデンティティーを完全に捨て去るところです。

 白人であることをやめ,(非白人を体現している)ナヴィと完全に同化する。つまり,それまで映画の下支えをしてきたマジョリティ(白人)とマイノリティ(非白人)のあいだの人種的対立が,ここで象徴的に解消されるわけです。そのような設定が最後にあるからこそ,この映画は人種上の対立をかなり大胆に利用できたのかもしれません。

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【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

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【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

2013年 5月 2日