タイプライターに魅せられた女たち・第83回

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(8)

筆者:
2013年5月30日

1869年11月23日、ロングリー夫妻は、クリーブランドのYMCAで開催されたオハイオ女性参政権協会総会に参加していました。この総会には、オハイオ州の19の選挙区のうち、第9選挙区と第13選挙区を除く17の選挙区から代表が出席していました。当時リンウッドに引っ越していたロングリー夫人は、第1選挙区の代表として、この総会に出席していました。夫エリアスは、執行委員会に名を連ねていました。カトラー夫人は第18選挙区の代表、コール夫人は第4選挙区の代表でした。この時点でオハイオ州に割り当てられていた連邦議会議員定数は、上院2名、下院19名だったことから、オハイオ女性参政権協会は、17名の代表者に加え、4名の追加代表を選出し、翌日のAWSAに備えることにしました。

1869年11月24日、ロングリー夫妻は、クリーブランドのケース・ホールで開催されたAWSAの設立大会に参加していました。16の州から80名の代表が出席していて、オハイオ州とニュージャージー州は、それぞれ21名と7名で定数いっぱいでしたが、他の州は定数に足りませんでした。ロングリー夫人は、カトラー夫人やコール夫人と共に、オハイオ州の代表を務めました。リバモア夫人は、もちろん、イリノイ州の代表の一人でした。インディアナ州の代表には、ウェイ女史とスワンク夫人がいました。ニュージャージー州の代表には、ルーシー・ストーンと、その夫のブラックウェル(Henry Browne Blackwell)がいました。アンソニー女史も参加していましたが、どの州の代表でもありませんでした。スタントン夫人は、会場に姿を見せませんでした。

たくさんのスピーチと、渦巻く熱狂の中で、AWSAは設立されました。AWSAの初代会長には、ビーチャー(Henry Ward Beecher)が選ばれました。ロングリー夫人は、副会長の一人となりました。そして、25日夕方の最終セッションで、スピーチを求められたアンソニー女史は、しかし、こう述べました。

私たちの置かれている状況は、希望に満ちていて前途有望です。これらの独立した別々の運動は、私たちが生きている証拠です。このAWSAという団体が、今後も成功を収めることをお祈り申し上げるとともに、AWSAに代表を送った16の州にも、代表を送らずに参加だけした5つの州にも、参加しなかった16の州にも、お願い申し上げたいことがあるのです。各州に戻ったら、まずは州の女性参政権運動団体を、しっかり組織してほしいのです。そして、その団体において、クリーブランドのAWSAに参加するのか、ニューヨークのNWSAに参加するのか、決めてほしいのです。女性参政権を獲得するために、アメリカ合衆国憲法修正第16条を獲得するために。

この瞬間、アメリカの女性参政権運動は、NWSAとAWSAの2つに割れてしまったのです。そして、アメリカの女性参政権は、次の憲法修正第16条では実現しませんでした。

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(9)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。