漢字の現在

第276回 北京の街中の漢字

筆者:
2013年7月1日

「…中心」は「センター」、「…系統」は「システム」の訳語に使われており、日本人にはずれた感じがするようだ。街中では、「党」「軍」の字も散見される。

中国では、「竜巻風」に「龙卷风」と、目立つ簡体字が2つ使われていた。日本では竜巻が和語であるために、日本語からの語に見える。

よそ者にはありがたい、というような表示が概して少ない。案内をしてくれる方が、通行人に行き方を聞きまくっている。

地下鉄の行き先も、利用する人間側に合わせるような表示にはなっておらず、地元の人も戸惑っているさまを見かける。日本での機械さえも人間の側へ近づけようとする発想とは逆のようで、日本のサービスの配慮の温かさ、細かさがこういうところで比較することで実感できる。

「靠」は、日本では「もたれる」として小説あたりで見る程度で、ほとんど使わなくなった。ここでは、駅のエスカレーターで多用されている。

「興業銀行」は、簡体字で「兴业银行」とかなりすっきりとしていた。名前の「広興」も簡体字で「广兴」と書かれていた。こうなってくると、香港や台湾に行くと、繁体字で書かれた名前が自身の名前ではないように感じないだろうか。

日本では、国内で様々に字体へのこだわりが発揮される。「廣澤」「廣沢」「広澤」「広沢」、さらにそれらの異体字が公用されているが、国際間では、異なる基準によって字体が統一され、「廣澤」か「广(泽)」に変えられるのである。英語圏では、漢字ですらなくなり、「Hirosawa」のようになるわけだから、やむをえないことかもしれない。


 (月+半)(月+半)太太

看板に店名があった。太った奥さんというストレートな意味で、分かりやすいが、人にその店に行くの、と言いにくくないかと心配になる。1字目のパンという字が太っていることを表す。日本では「太」は、「ふとい」「ふとる」と読むが、それらは実は国訓である。奥さんのことを指す「太太」(タイタイ)は満州語からといい、当て字であった。

 拆

この1字が立入禁止の廃屋のような同じ建物に何回か書かれている。

 鮑

も看板で見かけた。名字による店名だろうか。簡体字だったか、バスが動き、写真を撮り損ねてしまった。

バスはよく揺れ、急ブレーキも多い。2両編成で女性車掌が同乗しているが、居眠りかなと思わせる、のどかな光景もあった。しかし、すわ無賃乗車となると、その人を追いかけていくこともあったそうだ。

優先席には、次のように5字が記されていた。

 老弱病残孕

意味は分かりやすそうだが、表現としてちょっとどうか、と心配になってくる。日本では、「障害」も「障碍」に戻されたり、「障がい」と交ぜ書きに変えられたりしている。しかし、聞いた限りでは中国の人たちは、これに関しては別に気にならないとのことだった。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。