「百学連環」を読む

第120回 体系──眞理を纒めて知る

筆者:
2013年8月2日

学術には「体系(system)」と「方法(method)」がある。「体系」とはなにか、という前回の説明に続いて、具体例が挙げられます。

譬へは system of botany and system of chemistry. ち本草學の規模とは、あるとある草木を其性質より用不用に至るまて眞理を分明に知り得るを云ひ、又分離家の規模とは、礦物或は草木なとまて其何物の如何なる理にて混合して成り立つ所の眞理を纒めて知るを云ふなり。

(「百學連環」第48段落第6文)

 

上記のうち、botany の左には「本」、chemistry の左には「分」と振られています。文脈からして「本」は「本草学」、「分」は「分離学」の略記と見てよいでしょう。では、訳してみます。

例えば、system of botany and system of chemistry という。「植物学の体系」とは、あらゆる植物について、その性質から役に立つか立たないかといったことまで、真理をはっきりと知り得ることを指す。また、「化学の体系」とは、鉱物や植物などについて、どんな物質がどんな割合で混合してできているかという真理をまとめて知ることである。

「化学(chemistry)」が「分離」と訳されているのが面白いですね。「百学連環」の本編のほうでは、西先生、「化学」と訳しています。

さて、ご覧のように「体系(system)」の具体例が説明されています。つまり、植物学であれば、植物に関わる真理を隅々までまとめたもの、というわけです。前回の「條理立ち、殘る所なく明白に知り、一ツに纒まりし」という説明を思い出せば、「体系」とは、特定の植物の断片的な知識ではなく、それらの間に筋が通り、はっきりと分かり、まとまっていること、となります。

次にもう一つ、システムの用例が挙げられます。

又學上の規模とは異なるといへとも、其理は一ツにて、solar system and physiological system. 太陽の規模とは、一ツの太陽は心軸にて、地球及ひ其他數ある星の太陽の周圍に廻り、太陽の光りは廻る所の衆星に係はるか如き是なり。又人身の規模とは、頭より四支毛髪に至るまて相係はりて一ツの體をなし、其形を爲す所以の理を知る是なり。

(「百學連環」第48段落第7文~第8文)

 

ここでは、solar の左に「太陽ノ」、physiological の左に「人身ノ」と振ってあります。訳せばこうなりましょうか。

また、学に関する体系とは別に、solar system and physiological system という言い方もあるが、理屈は一緒である。つまり、「太陽系〔太陽の体系〕」とは、太陽を中心として、地球やその他の星々がその周囲を回り、太陽の光が周囲を回っている惑星に関わるといった具合である。それから、「生理系(生理の体系)」とは、頭や四肢や毛髪にいたるまで、〔人体の各部が〕互いに関係しあって一つの体をなしていること、またそのような形になる理を知ることである。

今度は学問体系とは別の用例です。太陽系は、しばしば図を見ることがあるので、私たちにとってはいっそうイメージしやすいですね。ここで肝心なことは、複数の天体がバラバラではなく、相互に関係しあいながら一つのまとまりを成しているということです。生理系のほうは、もともと一体である身体を解剖学的に分けた上ではありますが、やはりそうした部位が相互に関係しあっているという見立てです。

ところで、乙本を見ると、人体について次のような「朱書」が添えられています。

人體の目的なるものは一のなり此のの關渉して其用をなすか爲めに耳目鼻口四肢の全き備へあり是ち system なるものなり

(「百學連環」乙本、欄外)

 

訳します。

人体の目的は、もう一方の精神にある。この精神が関わり合って働くために、耳目や鼻、口、手足という全体が備わっているのだ。これがつまり〔人体における〕「系(system)」というものなのである。

本文には出ていない「精神」という言葉が顔を見せていることに注意しましょう。「一の」を訳しあぐねて「もう一方の」としてみましたが、これは読み込み過ぎかもしれません。後にこの「総論」の最後で問題となる、人間を身体と精神で捉える心身二元論の見立てを念頭に置いてみたのでした。

学問体系にしても、それ以外の系にしても、複数の要素が、ある理によって関わり合って構成するまとまりを指しているという点では、共通しているぞという説明であります。

ついでながら、system の語源を振り返ってみると、それは古典ギリシア語の「συστημα(シュステーマ)」に遡ることができます。「συ-」は、「共に」という意味の接頭辞で、「シンポジウム(symposium、語源はσυμποσιον、シュンポジオン)」や「シンフォニー(symphony、語源はσυμφωνια、シュンポーニアー)」といった言葉の語頭にも現れます。

後ろに続く「στημα」は、ちょっと複雑で、元は「ιστημι(ヒステーミ)」という動詞が形を変えたもの。これはいろいろな意味のある言葉ですが、この文脈では「置く」「据える」「配置する」と見てよいでしょう。つまり、「συστημα」で、「共に配置したもの」「構成」となるわけです。

このように語源を覗いてみると、字義を見てとりやすくなることがあるという次第は、本連載で何度かお目にかけてきたことでありました。

もう少し、システムの話が続きます。

*

=卽(U+537D)
=精(U+FA1D)
=神(U+FA19)

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。