タイプライターに魅せられた女たち・第93回

メアリー・オール(2)

筆者:
2013年8月8日
ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社の広告「$1,000 CHALLENGE.」(『New-York Tribune』1887年12月7日)
ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社の広告「$1,000 CHALLENGE.」(『New-York Tribune』1887年12月7日)

1887年12月7日、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社は、ニューヨークの新聞各紙に、ある広告を掲載しました。「$1,000 CHALLENGE.」というタイトルが、ひときわ目を引くその広告には、1000ドルを賭けて各社タイプライターを公開の場で競わせよう、各タイプライター会社は三人のタイピストを準備されたし、場所はニューヨーク、期限は1888年3月1日、と記されていました。この広告を打ったマクレインは、「Remington Standard Type-Writer No.2」のタイピスト三人の筆頭に、オール女史を当て込んでいました。

しかし、1888年3月になっても、タイプライター各社対抗コンテストは、実現しませんでした。目論見が外れたマクレインは、今度は別の手段で、オール女史と「Remington Standard Type-Writer No.2」を宣伝することにしました。あちこちの速記者協会に、公開のタイプライターコンテストをおこなうよう、はたらきかけたのです。どのような形のタイプライターコンテストであっても、他社を制してオール女史が優勝しさえすれば、それは同時に「Remington Standard Type-Writer No.2」の名声にもなるからです。

1888年8月1日、オール女史は、ニューヨーク21丁目西208番地のメトロポリタン速記者協会にいました。この夜、メトロポリタン速記者協会では、25ドルの賞金を賭けて、タイプライターコンテストが開催されたのです。コンテストの参加者は、オール女史、グラント女史(M. C. Grant)の女性2人と、マイヤーソン(Emanuel Myerson)、そしてソルトレークシティから来たマッガリン(Frank Edward McGurrin)の男性2人、合わせて4人だけでした。しかも、4人とも「Remington Standard Type-Writer No.2」を使用したのです。仕掛人のマクレインにとっては、多少アテが外れることになりました。

コンテストは、5分間の口述タイピングで競われました。グラント女史、マイヤーソン、オール女史、マッガリン、の順で競技がおこなわれました。結果として、オール女史はマッガリンに敗退、2位に終わりました。オール女史は、5分間で495ワードを叩き、うち19ワードに誤りがあって、差し引き476ワードという記録でした。一方、マッガリンは5分間で494ワード、すなわちオール女史より1ワード少なかったのですが、誤りは15ワードで、差し引き479ワード、優勝はマッガリンのものとなったのです。3位はグラント女史で、差し引き469ワードでした。マッガリンには25ドルが、オール女史には10ドルが、グラント女史には5ドルが、それぞれ賞金として授与されました。

メアリー・オール(3)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。