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We Are The Champions(1977/全米No.4,全英No.2)/クイーン(1970-)

2013年 8月 21日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第95回

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●歌詞はこちら
http://www.azlyrics.com/lyrics/queen/wearethechampions.html

曲のエピソード

情報過多の現代では滅多に起きない現象だが、1970年代には、日本で本国(アメリカやイギリス)よりも先に人気に火が付く洋楽アーティストが結構あった。クイーンもその例に漏れず、本国イギリスよりも日本での人気が先行したバンドである。リード・ヴォーカルのフレディ・マーキュリー(1991年11月24日死去、享年45)がこの世を去って20年余、ベース担当のジョン・ディーコンが引退してから16年が経った今なお、その人気は衰えていない。それどころか、クイーンの曲は今でもどこかで耳にするし、ここ日本では、CMソングにも起用され続けている。

「We Are The Champions(邦題:伝説のチャンピオン)」は、フレディが単独で作詞作曲を手掛けた楽曲。サッカーの試合を思い浮かべながら彼が歌詞を綴った、というエピソードが残っている。本来は「We Will Rock You」と両A面扱いだったが、シングル盤がリリースされた当時、イギリスやアメリカのラジオDJたちがこぞって両方の曲を流したため、その2曲をリスナーたちはワン・セットとして受け止めた。「We Are The Champions」同様、「We Will Rock You」もあらゆるスポーツの試合には打ってつけの曲で、筆者はNBAの試合で後者が頻繁に流れていたことを記憶している。2012年夏に行われたロンドン・オリンピックの閉会式でも、「We Will Rock You」はイングランド出身の人気女性シンガー、ジェシー・Jをリード・ヴォーカルに迎えてパフォーマンスされた。筆者はてっきり「We Are The Champions」もパフォーマンスされるだろうと想像していたのだが、何故だか同曲は閉会式では披露されなかった。リリース当時、「俺たち(=クイーン)こそが世界チャンピオンだ」という歌詞が不遜に過ぎると批判されたことが起因しているのだろうか? ただし、生前のフレディは、「この曲は、僕たち人間のひとりひとりが勝者(=champion)だ、って歌ってるんだよ」と語っている。

曲の要旨

これまで何度も何度も、出来るだけのことはやってきた。さすがに罪に問われるようなことはしでかしてこなかったけれど、いくつかのひどい過ちをも犯してきたよ。辛い目にも遭ってきたけれど、それを乗り越えてきたんだ。僕たちこそが真の勝者だ。このまま、最後まで戦い続けるよ。これまで喝采を浴びてきて、僕を応援してくれたみんなのお蔭で地位も名声も手に入れた。みんなに感謝するよ。けれど、これまでの道のりは決して楽なものじゃなかった。これからも僕はこの世界で敗者になるわけにはいかない。僕たちこそが真の勝者なのだから。

1977年の主な出来事

アメリカ: 第39代大統領のジミー・カーターが、ヴェトナム戦争への徴兵を忌避した者たちを恩赦する。
日本: 正月早々、青酸カリ入りのコカコーラ事件が発生し、世間を震撼させる。
世界: ロンドンで第3回先進国首脳会議が開催される。

1977年の主なヒット曲

Don’t Give Up On Us/デイヴィッド・ソウル
Southern Nights/グレン・キャンベル
When I Need You/レオ・セイヤー
Da Doo Ron Ron/ショーン・キャシデイ
You Light Up My Life/デビー・ブーン

We Are The Championsのキーワード&フレーズ

(a) pay one’s dues
(b) take one’s bows
(c) bed of roses

この曲を聴く度に、思い出す光景がある。それは、1998年6月にワシントンD.C.で行われた、“第3回チベタン・フリーダム・コンサート”の取材に行った時のこと。会場に到着するなり、クイーンの「We Are The Champions」が大音量で流れていたのだ。まだコンサートが始まる前の余興の一種だったのだろうが、同行した某レコード会社のディレクター氏がクイーンの大ファンで、もうそれだけで陶酔モードに入ってしまい、誰もいないステージに目をやりつつ、「僕、もうこれだけで来た甲斐があった!」と言ったのである。もちろん、詰めかけた観衆は大合唱。フレディが鬼籍に入ってからまだ2年足らずだったこともあってか、あたかも彼に対する追悼コンサートのように、観衆はあらん限りの大声で同曲を歌っていた。何だかこっちまで目頭が熱くなるような光景だったことを、今も忘れない。

それにしてもクイーンの楽曲は、どれをとってみても一度聴いたら忘れられないほど鮮烈な印象を残す。筆者が中学生の頃、クラスメイトで洋楽好きの男子がクイーンの名盤『A NIGHT AT THE OPERA(邦題:オペラ座の夜)』(1975)と『A DAY AT THE RACES(邦題:華麗なるレース)』(1976)のLPを貸してくれた時、フレディの天をも突き抜けるようなヴォーカルと豪華絢爛な演奏にいっぺんに魅せられ、後日、筆者も同じLPを買ってしまった経験がある(後にそれらを手放してしまったことが未だに悔やまれる。目下、拙宅にあるのは、家人の私物のCDのみ)。どうも筆者は、アメリカのロックよりもイギリスのそれに惹かれる傾向にあるようだ(本連載第82回で採り上げたザ・フー然り)。クイーンの演奏が他のロック・バンドと質を異にしているのは、メンバーたちにクラシック音楽の素地があるから、というのもひとつの要因だろうが、個人的な意見を言わせてもらえば、彼らは明らかに音楽――たとえそれが大衆向けのポピュラー・ミュージックであったとしても――を“芸術”として体現していたからだと思う。実際、生前のフレディはオペラ歌手と共演したこともあり、その歌いっぷりはロック・シンガーを遥かに凌駕していた。“歌が上手い”のひと言では片付けられないほど、彼のヴォーカルは神々しかった。フレディ亡き後もクイーンはバンドとして存続し続けているが、彼に取って代わるシンガーは二度と現れないだろう。

この「We Are The Champions」も日本のCMソングに起用されたことがあり、クイーンをリアルタイムで知らない世代の耳にも馴染んでいるはず。メロディもタイトル部分を歌うフレーズも、いつまでもいつまでも耳に反響する。そしてこの曲の興味深いところは、イディオムが歌詞に数多く登場する点。フレディが綴った歌詞は、往年のイギリスの詩人たちを彷彿とさせる。例えば(a)。これは、英和辞典の“due”の項目に必ず載っているイディオムで、「責任や責務を果たす、経験を積む」という意味。この曲がリリースされた時のクイーンは、結成から7年、デビューから4年が経過していたのだが、(a)を含む冒頭のフレーズから、彼らが世に出るまでの様々な苦労が滲み出ているかのようだ。この冒頭のフレーズだけで、リスナーたちの心を鷲掴みにする。

筆者は(b)のイディオムを、その昔、この曲で初めて知った。ご存知の通り、“bow”は動詞では「お辞儀をする」、名詞では「お辞儀」という意味だが、イディオムの(b)は、舞台やステージに立つ役者やミュージシャンたちが、観客の喝采を浴び、それに対してお辞儀をする、という意味。また、「観客や世間からの称賛を素直に受け止める」という意味もある。(b)を含むフレーズは、クイーンが大人気を博し、世間の人々に受け容れられ、多くの称賛を浴びていることを誇らしげに(ただし、自慢げではなく)かつ高らかに宣言している箇所だ。この曲をフレディ存命中にライヴで聴いた人々は、ここのフレーズにさぞかし酔いしれたことだろう。ステージでは派手なアクションを伴って熱唱する姿が印象的だったフレディだが、普段はとてもシャイな人物だったという。そのギャップもまた、彼の魅力のひとつであろう。そのエピソードから、彼が(b)のイディオムを照れながら綴ったのではないか、という楽しい想像も膨らむ。

素晴らしい人生を表現する際に日本語で「バラ色の人生」などと言う場合があるが、(c)がまさにそれ。これは、そのまま“bed of roses”として辞書に載っている。意味は「満ち足りた暮らし、安楽な身分」で、文字通り「バラ色の人生」である。(c)を直訳すれば「バラの花々で飾られたベッド」だが、“rose”には比喩的に「素晴らしい人生」という意味もあり、以下のような決まり文句がある。

Life is not all roses.(人生には楽しいことばかりあるとは限らない)

これはある種の格言みたいなもので、“roses=安穏とした暮らし”という比喩であることが解る。こうしてみると、バラの花は西洋では幸福や繁栄の象徴として捉えられているようだ。

今にして思うに、クイーンがロンドン・オリンピックの閉会式で「We Are The Champions」をパフォーマンスしなかったのは、会場に居合わせた多くの「勝者(=champions)」の中に、多くの「敗者(=losers)」もいたことを慮ったからかも知れない。敢えてこの曲を閉会式でパフォーマンスしなかったクイーンの残党2名の思いやりにもジーンときた。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

2013年 8月 21日