日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第42回 「つもり」「ホント」の混在文脈と,その肯定的・否定的効果について

筆者:
2013年9月1日

吸い付けないタバコにむせつつ「てやんでえ」と幼稚な口調でタンカを切り,「ぺっ」というショーアップ語とともに吐いたツバが吐ききれず,アゴのあたりにてろ~んとぶら下がったりすれば,その微笑ましさに目を細めてしまうのは私一人ではないはずだ,と前回述べた。だが,アゴのあたりにツバがてろ~んとぶら下がっていることなど,本人は気づかないかもしれない。本人は「タンカを切ってツバを吐いてみせる」という『大人』としての壮挙を成し遂げたつもりになっているかもしれない。

そういう「つもり世界」を勘違い,幻想に過ぎないと言い立てず,そのまま描くということも,私たちがよくやることである。だがその際,肝心なことは,「つもり世界」の描写だけで完結させず,(表現者から見た)「ホント世界」の描写を一部入れてやるということである。次の(1)は,宗教的・倫理的な正しさに関する例である。

(1) 敬虔な信者たちは「世界の救済」の大儀をふりかざし,刃向かう悪魔の手先どもには容赦なく正義の鉄槌を下している。

この文の大部分で描かれているのは,信者たちの「つもり世界」である。信者たちの教義は正しく,その正しい教義を信者たちは敬っている。そして信者たちは教義にしたがい,「世界の救済」という重大使命を果たそうとしている。それを邪魔立てしようとするのは悪魔の手先どもに決まっている。彼らをたたきつぶすのは正義の鉄槌であるから,何の呵責も痛痒も感じず,容赦なくおこなう。そういう信者たちを外部から醒めた目で描いている「ホント世界」の描写が「(大儀を)ふりかざし」の部分で,ここでは信者たちの正当性が否定されている。(正当性の否定は,「大儀」に「とやら」を付けて「大儀とやら」にすればなおはっきりするが,「ふりかざす」だけでも十分だろう。)結果として(1)は,信者たちの正当性に対するアイロニカルな描写となっている。逆に言うと,「敬虔な信者たち」が「大儀をふりかざす」という,ふだんならちょっと違和感を持つような語句の同居を許すのがアイロニカルな文脈だ,ということになる。

次の(2)は,学問的な正しさに関する例である。

(2) あの教授は宇宙の神秘を一気に解き明かす大妄想論文で世界をリードしている。

この文でも大部分は当の教授の「つもり世界」が描かれており,「ホント世界」が描かれている部分といえば,「大論文」にさり気なく差し挟まれた修飾語「妄想」に限られている。だが,「あの教授」が実はトンデモ教授であり,「世界をリードしている」が実は(「世界をミスリードしている」と単純に解釈するにせよ,「いくら妄想論文とはいっても,ここまでの妄想は他に類を見ない。妄想論文という一つのジャンルにおいて世界を文字通りリードしている」という少しひねった解釈をするにせよ)ふつうの意味の「世界をリードしている」ではないとわかるには,これだけで十分である。ここでも,「大妄想論文で世界をリードする」というふつうならおかしい語句の並びが,アイロニカルな文脈によって正当化されている。

このように,「つもり世界」の描写に「ホント世界」の描写を一部加えると,否定的なアイロニカルな文脈になるのが通例である。だが,実はそうならない場合もある。では,それはどんな場合だろうか?(続)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。