談話研究室にようこそ

第62回 「城の崎にて」を読む

筆者:
2013年9月26日

今回から小説のテクスト分析を行います。志賀直哉の「城の崎にて」です。

今年の前期,神戸市外国語大学の授業で,アーネスト・ヘミングウェイの短編小説をいくつか談話分析の観点から読みました。テクストを読み取れた感触を受講者に体感してもらうために,まずは英語ではなく,日本語で小説を読もうと考えました。そのとき選んだのが「城の崎にて」です。

授業を計画している段階では,どのような分析を行えるのか見当が立っていたわけではありません。しかし,やるからには有名な短編のほうがいい,どうせなら思い入れの深い作品のほうが楽しい。そう考えました。

城崎温泉の柳並木(写真提供:城崎温泉無料写真集)

写真提供:城崎温泉無料写真集

そこで,山陰地方の温泉地,城崎を舞台にした短編を取り上げることにしました。大渓(おおたに)川沿いの柳並木が美しいところです。私事になりますが,母の故郷でもあります。そして言うまでもなく,「城の崎にて」は志賀直哉の代表的な作品です。

では,談話研究は小説に対してどのようにアプローチできるでしょうか。

小説だからといって特別な分析方法があるわけではありません。第5回で述べたように(ずいぶん以前の話ですね),テクスト分析に王道はありません。対象とする特定のテクスト(群)ごとに,どのような特徴をどのような方法で取り上げるのがよいか,個々に考えるほかないのです。

しかし,何の手がかかりもなくテクストを分析せよと言われても,手の出しようがないですよね。私がテクストを分析するにあたってしばしば用いる指針は,(ごく当たり前のようですが)「テクストを読んだときの印象は,そのテクストのなかの原因によってもたらされる」と「テクスト(もしくは当該ジャンル)で繰り返されることには意味・理由がある」というものです。

「城の崎にて」から読者はどのような印象を受け取るのか,このテクストでどのようなことが繰り返される(規則性を持っている)のか,まず確認しておきましょう。

この短編は,ひどい事故にあった「自分」が城崎に湯治に出掛け,そこで遭遇した小動物(ハチ,ネズミ,そしてイモリ)の生死を写実的に描写したものです。

作者志賀直哉は,「創作余談」(『志賀直哉全集 第6巻』)で以下のように述べています。

『城の崎にて』これも事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、ゐもりの死、皆その時数日間に実際目撃した事だつた。そしてそれから受けた感じは素直に且つ正直に書けたつもりである。所謂心境小説といふものでも余裕から生れた心境ではなかつた。

この志賀のことばは,読後の直感的な印象にも合致するもので,その後の「城の崎にて」の批評にかなりの影響を与えたようです。しかし,「素直」と「正直」の背後にひっそりと作者の意図や作為が感じられるように思います。この点については以降の回で徐々に触れていくことにします。

全体の構造は以下の通りです。

(77)  a. 冒頭部
 b. 淋しくも静かな城崎の状況
 c. 蜂との遭遇
 d. 短編「范の犯罪」について
 e. 鼠との遭遇
 f. 揺れる桑の葉の不思議
 g. 蠑螈(イモリ)との遭遇
 h. 終幕

冒頭部と終幕((77a), (77h))では,城崎に来た経緯と3週間の滞在を終えて帰京したことがそれぞれ伝えられます。前置きと後付けのかたちで本体部分((77b)-(77g))を挟み込んでいます。文体も本体部分とは異なり,少しせかせかした印象を与えます。

本体部分では,小動物との遭遇が3度繰り返されます((77c), (77e), (77g))。この部分が,本作の中心的なエピソードとなります。そして,「短編「范の犯罪」について」および「揺れる桑の葉の不思議」と題した (77d) と (77f) の部分が幕間として挿入されます。

テクストのおもだった特徴は,やはり,小動物の生死が3度繰り返されることと,冒頭部と終幕に挟み込まれた構造になっていることでしょう。こういった構造――テクストのかたち――は,読者に与える印象に影響しているようです。

ちなみに,授業で受講生から聞き取った印象は以下のようなものです。

(78)  a. 静かな感じがする
 b. 語り手はじっと見つめている
 c. 全体のまとまりがよい

このような印象がテクストのどの部分からもたらされるのかについて,先の構造的特徴にいくらかからめながら考えてみようと思います。

たとえば,(78c) に挙げたまとまりの印象ですが,これには複数の要因がからんでいます。物語の主要なエピソードの順序がハチ→ネズミ→イモリであって,この順序が動かしがたいことは,明らかにこの作品のまとまりのよさに寄与しています。

また,冒頭部と終幕による挟み込みの構造は,テクストが終幕の部分で終わるという感覚を植え付け,そこまでのテクストを一まとまりと見なすのに貢献しています。

次回では,上の挟み込みの構造がどのように読者の印象にかかわるのか,まず考えてみようと思います。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。