地域語の経済と社会 ―方言みやげ・グッズとその周辺―

第273回 日高貢一郎さん:神奈川県川崎市に、中学『校区』あり~通学区域を表す方言~

2013年9月28日

全国の公立の小学校・中学校は、通学してくる子供たちの住んでいる地域、つまり「通学範囲/通学区域」を、各市区町村の教育委員会が決めることになっています。

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【写真1】全国での「通学区域」の言い方
【写真1】全国での「通学区域」の言い方
(NHKの昭和53年の調査)

この「通学範囲」を表すことばは、実は全国各地にいくつもの言い方があります。代表的なものとして、東日本では主に①「学区」(「」校+「」域)、西日本では主に②「校区」(学「」+「」域)、そして北陸と北海道の一部では③「校下」(学「」+県「」/都「下」などの「」)、と言うことが知られています。【写真1】「ことばの地域差(2)―全国通信調査から―」(NHK放送文化研究所『文研月報』29-4、昭和54年4月号。調査は昭和53年8~9月)から。

そもそもこういうことばが必要になったのは、明治5年に「学制」が施行され、国民が等しく義務教育として学校教育を受けるようになってからのはずです。歴史的に見ると比較的“新しい”ことばだといえるでしょう。

この新しい「方言」には、一般的ないわゆるふつうの方言と比べると、いくつかの特徴が見られます。すなわち、(1)いずれも“堂々と”漢字で書かれ、ちっとも方言らしい印象がありません。(2)それぞれの地元の人たちは、その言い方は全国に通じる、すなわち共通語だと思っており、(3)まして地域によって言い方に差があるなどという意識はほとんどない、という実に不思議な存在です。

方言研究者で最初にそのことに気がついて指摘したのは、柴田武氏でした。氏の出身地・名古屋では、これに当たることばを古くは④「聯区(れんく)と言っていたとのこと。地元の町内会などのいくつかの「域」が「合」した範囲が、ちょうど通学区域に相当したのでそういう呼び名になったのではないか、ということのようです。

さて、神奈川県は東日本ですから、先のような従来の情報からすると、てっきり「学区」の地域だろうと思われますが、川崎市内で【写真2】のようなチラシを見つけました。

【写真2】宮前平中学校の「地域教育会議」のチラシ(色の部分は筆者が加筆したもの)
【写真2】宮前平中学校の「地域教育会議」のチラシ
(色の部分は筆者が加筆したもの)

「宮前平中学校区地域教育会議」(≒地域ぐるみでの学校支援組織)の「住民委員」を募集するというお知らせです。その表の面には、「住民委員募集」のお知らせが載っており、裏の面は「この会議のこれまでの主な活動」として、「地域安全マップづくり、広報誌の発行、……」など8つの事例が紹介されています。

両面合わせて「…校区…」という言い方が合計12回出ていますが、そのうち「宮前平中学校区地域教育会議」というフルネームが7回で最も多く、「中学校区地域教育会議」というその略称が2回、「宮前平中学校区で……」「宮前平中学校区に在住している……」が各1回、裏面に「中学校区内各校PTAコーラス部」が1回、という内訳になります。ただし、よく見ると説明文の中には「学区」という表現も1回だけですが混ざっており、「応募要件」に「学区内20歳以上の住民3名以上の推薦が必要です」とあります。

「地域教育会議」は、川崎市内の川崎区、中原区、宮前区、など7つの区の、計51校の市立中学校ごとに設置されています。①地元での一般的な「通学区域」の呼び方の実態や、②この会議の名前を「…校区…会議」と呼ぶようになった経緯やその理由などを知りたくて、当該の宮前平中学校とこのチラシの問合せ先になっている宮崎台小学校の先生、さらにそれを束ねている川崎市教育委員会にも詳しく尋ねてみました。

その結果、①「通学区域」の呼び方については、学校・保護者・生徒の間では「学区」という言い方が一般的だとのこと。なお、川崎市教育委員会のホームページの「学校教育・学校施設」では、小・中学校ともに「通学区域」と表現されています。ところがさらに詳しく見ていくと、 (A)「学区」に関する表現では、「小・中学校の学区域を知りたい」「隣接学区に……」「学区変更した場合……」「(河原町小学校は)いつから学区以外の学校に自由に……」「再び、学区問題などが起きない」「学区外修学=指定変更」「現在の学区境が妥当」とあったり、(B)「学校区」では、「学校区があるということは」「学校区レベルで見ると」とか、(C)「校区」関係では、「宮崎1丁目は宮崎台小学校区で」「学校統合時には中学校区の変更が生じる」「両校とも同じ中学校区内となっており……」などとあったり、複数の言い方が併用され、混在しているのが実状です。

しかし、以上のようなどの言い方でも、言わんとするその意味あいはまず間違いなくわかります。(それが混在の大きな理由のひとつでしょうが…)

②については、残念ながら「この会議が川崎市内に設置され始めてから20年以上が経過しており、創設当時の命名の経緯など、詳しいことはわからない」ということでした。ひとつの可能性としては「○○中学校+学区+地域教育会議」というよりも、「○○中学校区+地域教育会議」のほうがすっきりしていて言いやすいということなども、あるいは関係しているのかもしれません。

つまり、実態としては「学区」が地元での一般的な呼び方であるが(行政用語としては「通学区域」などとも)、「地域教育会議」に関しては「○○中学校区地域教育会議」と呼ばれている、とまとめることができるでしょうか。

《参考》「川崎市地域教育会議」のホームページには、設立の経緯・組織概要・活動内容、などが詳しく載っています。
//www.kawasaki-chiikikyouikukaigi.net/

筆者プロフィール

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics

井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。

(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

 

  • 日高 貢一郎(ひだか・こういちろう)

大分大学名誉教授(日本語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと,“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986),「宮崎県における方言グッズ」(1991),「「~されてください」考」(1996),「方言によるネーミング」(2005),「福祉社会と方言の役割」(2007),『魅せる方言 地域語の底力』(共著,三省堂 2013)など。

編集部から

皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。

方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。