タイプライターに魅せられた女たち・第100回

メアリー・オール(9)

筆者:
2013年10月3日

全国教育協会第41回総会終了直後の1902年7月12日、レミントン・スタンダード・タイプライター社は、レミントン・タイプライター社に社名を変更しました。オール女史は、この日の時点では、まだミネアポリスにいたのですが、その後の「Remington」の変革に、巻き込まれていきました。一つは、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社との会社統合です。この時点では、レミントン・タイプライター社が生産した「Remington」タイプライターを、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社が販売する、という業態を取っていることになっていました。それを、販売も含めて全てレミントン・タイプライター社がおこなう、という形に変更していくことにしたのです。

もう一つは、モナーク・タイプライター社の設立でした。レミントン・タイプライター社の主力製品である「Remington Typewriter No.2」は、もはや四半世紀前の機種であり、販売台数に翳りが見え始めていました。ライバル機の「Underwood Standard Typewriter No.5」に、シェアを脅かされつつあったのです。シェアを奪還するために、レミントン・タイプライター社が取った策は、「Underwood Standard Typewriter No.5」のデザインをコピーすることでした。もちろん、特許の問題があるので、完全にコピーするわけにはいきませんが、プラテンの前面に挟んだ紙に印字をおこなうことでタイピングした文字が即座に見える、という「Underwood」のキモは、スミス・プレミア社の技術でクリアできそうでした。ただ、それでも特許訴訟になる可能性が非常に高かったことから、「Monarch Visible」と名づけられたこのコピーマシンの生産および販売は、新たに設立したモナーク・タイプライター社がおこなう、という形にしたのです。

Underwood Standard Typewriter No.5

Underwood Standard Typewriter No.5

1904年12月、「Monarch Visible」は無事、発売に漕ぎつけました。モナーク・タイプライター社の本社は、ニューヨークのブロードウェイ319番地、すなわち、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社の4軒隣りに置かれました。ただし、モナーク・タイプライター社の生産部門は、シラキューズに置かれました。モナーク・タイプライター社の株式は、その全てをユニオン・タイプライター社が押さえており、「Remington」「Caligraph」「Densmore」「Yost」「Smith Premier」に「Monarch」が仲間入りしたわけです。

「Monarch Visible」の広告(『New-York Tribune』1905年1月23日)

「Monarch Visible」の広告(『New-York Tribune』1905年1月23日)

メアリー・オール(10)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。