タイプライターに魅せられた女たち・第102回

メアリー・オール(11)

筆者:
2013年10月17日

オール女史が解決すべき難題の一つは、赤字続きのモナーク・タイプライター社でした。「Underwood Standard Typewriter No.5」に対抗すべく開発した「Monarch Visible」でしたが、「Underwood」の牙城を崩すことができず、じりじりと赤字経営を続けていました。モナーク・タイプライター社を完全に切り離して、倒産させるという手段も有り得ますが、その場合、ユニオン・タイプライター社の株価も暴落しかねません。そうなると、レミントン・タイプライター社にも悪影響が出ます。結局、レミントン・タイプライター社は、モナーク・タイプライター社を「引き取る」ことにしました。まずは、代理店統合という形で、モナーク・タイプライター社のセールスマンを、レミントン・タイプライター社に引き取り、その後、「Monarch」ブランドそのものを「Remington」へと吸収することにしたのです。また、これと同時に「Smith Premier」も、「Remington」へと吸収することになりました。

「Remington Visible Typewriter Model 10」の広告(「The Sun」1910年2月10日号)

「Remington Visible Typewriter Model 10」の広告(「The Sun」1910年2月10日号)

「Monarch」と「Smith Premier」の技術を得たレミントン・タイプライター社は、1908年12月、「Remington Visible Typewriter Model 10」を発売しました。プラテンの前面に挟んだ紙に印字をおこなうことでタイピングした文字が即座に見える、という「Underwood」のキモをコピーしたタイプライターを、「Remington」のブランド名で発表したのです。それはすなわち、オール女史が慣れ親しんだ「Remington Standard Type-Writer No.2」を含む、いわゆるアップストライク式タイプライターの終焉を意味していました。

オール女史が解決すべき難題は、他にもありました。レミントン・タイプライター社とユニオン・タイプライター社の関係を、どう整理するか、という問題でした。ユニオン・タイプライター社の本社機能はニューヨークにあったのですが、登記上の本社はニュージャージー州に置かれたままで、株主総会もニュージャージー州で開催されていました。しかし、ユニオン・タイプライター社の設立当時とは、周囲の状況がかなり変わっていました。「Underwood」の台頭によって、ユニオン・タイプライター社によるタイプライター市場の寡占は、もはや崩れつつあったのです。そんな中、ユニオン・タイプライター社の登記を、ニュージャージー州に残しておくのは、あまりにも無駄です。1909年3月17日、ユニオン・タイプライター社のシーマンズとウッドラフ(Timothy Lester Woodruff)は、登記上の本社をニューヨークに移転する、と発表しました。レミントン・タイプライター社との経営統合に向けて、最初の段階をクリアしたわけです。

メアリー・オール(12)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。