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第66回 語る順序のストラテジー(その1)

筆者:
2013年11月21日

ハチ・ネズミ・イモリ,この3つの小動物の死は,第62回で紹介した志賀直哉のことばによりますと,「皆その時数日間に実際目撃した」(「創作余談」『志賀直哉全集 第6巻』)ことだそうです。そしてこの3つのエピソードは,事実通りありのままに語られたものとされることが(ことに以前は)多かったようです。

しかし,この3つのエピソードには発生順序以外の関係づけも見られます。三谷憲正は「「城の崎にて」試論」1) と題された論考で次のように述べています。

 三つの死の在り方を眺めてみると、不思議な配列に気づく。これら三つのエピソードの順序は緻密な計算の下に置かれているようなのだ。

三谷によると,小動物の死には語り手の姿が投影されており,ハチの死は〈土の下の死後の安らぎ〉を,ネズミの死は〈死の直前のもがき〉を,そして,イモリの死は〈死の原因としての偶然の事故〉を,それぞれ表すそうです。

〈土の下の死後の安らぎ〉とは,ハチが静かに死んでいる状態だけを表すのではありません。青山墓地に埋葬された自分の姿を思い浮かべたとき,そのイメージに語り手が静かさと親しみを覚えたことをも指しています。同様に,〈死の直前のもがき〉は,電車事故の後で語り手が半分意識を失った状態にもかかわらず医者の手配などを自分で指図したことを意味し,〈死の原因としての偶然の事故〉は,山手線で語り手が跳ね飛ばされたことを表します。この小動物の様子と語り手の体験との対応関係には納得できます。

そして三谷は,ハチ・ネズミ・イモリのエピソードの順序を「「死後」から「直前」、「直前」から「原因」、と時間のフィルムを逆に回している」と主張します。たしかに,エピソードが語られる順序に関して一定の規則性が見られるようではあります。しかし,合点のいかないところもあります。「死後」「直前」「原因」という順序で3つのエピソードをとらえ直すことで,いったい何が見えてくるのでしょうか。三谷にはそのことに対する説明がないのです。エピソードの順序に意味合いを見出そうとする三谷の基本姿勢には共感しますが,エピソードの順序を動機づける指針については賛成できません。

そこで,3つのエピソードがはたして「死後」「死の直前」「死の原因」を表しているのかどうかについて確認してみましょう。

まずはハチの描写についてです。

(86) ある朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向(いっこう)に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍(わき)を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向(うつむ)きに転がっているのを見ると、それがまた如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日ほどそのままになっていた。

(編集部注:ルビは実際には傍ルビ)

たしかに,上の引用はハチが死んでしまった後の状態を描写しています。しかし,ハチの描写については (86) に先立つ一節で「細長い羽根を両方へしっかりと張ってぶーんと飛び立つ」様子も描かれています(前回の (85) を参照)。

とすると,ハチに関しては,「死んだ後」の様子だけでなく,「死ぬ前」の姿も描写されていることになります。ハチのエピソードは「死後」ではなく「死の前後」を描いていると考えた方がよさそうです。

次に,ネズミのエピソードです。

(87) ある所まで来ると橋だの岸だのに人が立って何か川の中の物を見ながら騒いでいた。それは大きな鼠を川へなげ込んだのを見ているのだ。鼠は一生懸命に泳いで逃げようとする。鼠には首の所に7寸ばかりの魚串(さかなぐし)が刺し貫(とお)してあった。頭の上に三寸程、咽喉の下に三寸程それが出ている。鼠は石垣へ這上(はいあが)ろうとする。子供が二、三人、四十位の車夫が一人、それへ石を投げる。なかなか当らない。カチッカチッと石垣に当って跳ね返った。見物人は大声で笑った。鼠は石垣の間に漸(ようや)く前足をかけた。しかし這入ろうとすると魚串が直ぐにつかえた。そしてまた水へ落ちる。鼠はどうかして助かろうとしている。

(編集部注:ルビは実際には傍ルビ)

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この一節は,「死ぬに極まった運命」から逃れようとネズミが必死に逃げ回る様子を描きます。このエピソードについては,三谷が記述したのと同様に,「死の直前」を表すとしていいでしょう。

と,ここで「紙数の尽きる直前」となりました。続きは再来週に。

* * *

1) 三谷憲正「「城の崎にて」試論:〈事実〉と〈表現〉の果てに」『稿本近代文学』第15集, 1990。「日本ペンクラブ電子文藝館」(//bungeikan.org/domestic/detail/721/) に改稿して2003年に再録。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

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