日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第50回 表現キャラクタの「格」

筆者:
2013年12月22日

表現キャラクタについて、次に「格」の観点から述べておきたい。

「格」とは何か? 「格」とは、「経験や力や地位などから総合的に醸し出されるもの」(本編第60回)である。

まず、ことばを発する発話キャラクタの「格」について復習しておこう。発話キャラクタの「格」の値は、とりあえず四類(上から『別格』『格上』『格下』『ごまめ』)に大別すると、かなりスッキリするということは既に述べた(本編第61回)。

「格」の値が極端に高く、文字通り『別格』なのが『神』であり、これはたとえば「西に行けば」とは言えても「西にだな、行けばだな、」などとは言えない、つまり文節末尾でコピュラ(いまの例なら「だ」)や間投助詞(「な」)をしゃべることができないというように、実にいろいろな制約を持っていた。

また、「格」が最低値である『ごまめ』とは、誰に対しても敬語をしゃべらない、幼児のような一種の治外法権下にある者を指していた。

これらの間にあるのが『格上』と『格下』で、『格上』は『神』ほど多くはないが、甲高い声を上げられないといった制約を持っていた。そして、「あのー」と言いよどみ、「お客様、こ、こちらはー」などとおずおず口調で話を進め、「禁煙エリアでございますので……」のように発話を中途でフェイドアウトさせる、腰の低い『いい人』は、どちらかといえば『格下』に位置するのだった(本編第60回)。

以上の発話キャラクタと比べると、表現キャラクタの場合は、「格」の分類はもっと大まかな分類でよさそうである。具体的に言うと、発話キャラクタの「格」の値に『別格』や『ごまめ』を認める意義は薄い。

たしかに、「格」が『別格』の『神』だけは、『格上』『格下』『ごまめ』とは違って、存在を「鎮座まします」ということばで表現され得るが(大したことのない者の存在を「鎮座まします」と表現するのはミスマッチを敢えて狙っての皮肉表現であるからここでは除く)、多くの人々にとってあまり耳慣れない「鎮座まします」という一語だけのためにわざわざ『別格』を設けるのはなんだか仰々しいので、特に設けなくていいだろう。発話キャラクタの場合、『格上』とは『別格』を含まず、『別格』とは区別されるものだったが、表現キャラクタでは『格上』とは『別格』をも含む広い概念とする。

また、『ごまめ』にしても、その「治外法権」性は、しゃべることば(役割語)の無法性から来ているのだから、発話キャラクタを論じる場合は確かに独自のものと認められてしかるべきだが、表現キャラクタの場合はそうではない。たとえば「あどけない」表情で「たどたどしく」しゃべり、「よちよち」歩くといった様子は、「年」の観点(後述)に基づいて、『幼児』などの表現キャラクタを認めればそれで済むだろう。

というわけで、『格上』と『格下』である。これらを発話キャラクタとして論じた場合に注意したことは、ここでもやはり当てはまる。それは、『格上』『格下』は、キャラクタであるから、状況が変わってもおおっぴらに変えるわけにはいかないということである。

一例を挙げてみよう。A社に務める社員が、B社の人間を招いて打ち合わせ中のところに、差し迫った別件のため、A社の社長(田中)が何度も入って来たとする。打ち合わせが終わり、A社の社員がB社の人間を送り出す際、「今日は田中が何度も出入りいたしまして、失礼しました」などと言うことは特に問題ないだろう。日本語の敬語は相対敬語であり、自分にとって目上にあたる者の動作でも、話し相手によっては「出入りいたす」のように低めて表現する。だが、「今日は田中がうろちょろいたしまして、失礼しました」と言えばどうなるか。これが田中社長の耳に入れば、「うろちょろだとォ~!」ということになり、この社員は解雇されてしまうかもしれない。

『神』が「うろちょろ」のようなオノマトペを口にするわけにはいかないというのは発話キャラクタの話である。だが、オノマトペと「格」の低さとの結びつきは、表現キャラクタの場合にもしばしば見られる。誰かの動作が「うろちょろする」と表現される時、この話し手(発話キャラクタ)が『神』ではないことがわかるが、それと同時にわかるのは、この描かれ手(表現キャラクタ)が『格下』と見なされているということである。この『格下』はキャラクタであるから、状況によって変わらないことになっている。社員は、田中社長を『格下』の人間と「格付け」してしまったカドにより、窮地に立たされるというわけである。

それにしても、ご、ごじゅっかいですか! 全100回の本編に対して、ほぼ毎回、本編の時の倍近い分量の原稿を50回も書かせて頂いて、まだ終わりません。これは一体、何なんでしょう? もはや補遺でないことだけはたしかですが。。。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。