タイプライターに魅せられた男たち・第114回

ジェームズ・デンスモア(7)

筆者:
2014年1月16日

ところが、ポーター電信学校に納入された「The American Type Writer」には、大きな問題点がありました。薄い紙になら印字できるのですが、ぶ厚い紙には全く印字できなかったのです。「The American Type Writer」は、原稿用紙の裏を活字棒が叩き、それによって持ち上がった原稿用紙の表面がカーボン紙に当たって、原稿用紙の表面に文字が印字される、という仕掛けでした。この仕掛けでは、薄い紙には印字できても、電文書き取り用紙には印字できなかったのです。

ポーターとショールズは、この問題点を即座にデンスモアに伝えました。しかしデンスモアは、シカゴにもミルウォーキーにも出向くことができませんでした。コリー・マシン社での仕事が山積みになっていた上に、父親ジョエル(Joel Densmore)の特許出願まで手掛けていたデンスモアは、ペンシルバニア州を離れることができなかったのです。やむなくデンスモアは、「The American Type Writer」を改良して、ぶ厚い紙でも打てるように、と手紙でショールズに指示し、いくつかのアイデアを示しました。ただ、簡単には改良できないだろう、ということはデンスモアにも分かっていました。それは、印字機構そのものの変更を意味していたからです。少なくとも間接印字ではなく、活字棒が原稿用紙に直接印字するような仕掛けに、しなければなりません。

デンスモアとショールズは、ほぼ毎週のように手紙をやり取りしていたものの、「The American Type Writer」の改良は、なかなか進みませんでした。ショールズの仲間のうち、グリデンはミルウォーキーに残っていましたが、ソレーはニューヨークへと移って行ったようでした。その上ショールズは、以前に発明した『ページ番号を印字する機械』を改良し、その特許を勝手に取得(United States Patent No.91277)したりしていて、「The American Type Writer」の改良はそっちのけであるかのように、デンスモアの眼には映りました。

けれども、ショールズの「The American Type Writer」の改良は、かなり遅い歩みではあったものの、それでも、デンスモアの要求に応えるものへと、着実に進んでいました。1869年10月18日付けのショールズからデンスモア宛の手紙は、それを如実に示していました。この手紙に、ショールズは「Is this paper thick enough?」(この紙なら十分ぶ厚いだろう?)と、手書きで書き添えていました。紆余曲折はあったものの、どうやら必要な改良は、あらかた整ったようでした。

ショールズからデンスモア宛の手紙(1869年10月18日)

ショールズからデンスモア宛の手紙(1869年10月18日)

ジェームズ・デンスモア(8)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。