絵巻で見る 平安時代の暮らし

第18回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸」の寝殿造を読み解く その2

筆者:
2014年1月25日

場面:朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)
場所:法住寺南殿(ほうじゅうじみなみどの)の寝殿造
時節:正月二日

建物:①中門南廊(東中門廊)、②板敷、③透き渡殿、④釣殿、⑤母屋、⑥廂、⑦簀子、⑧高欄、⑨寝殿、⑩御階(みはし)、⑪階隠(はしがくし)、⑫地敷(じしき)、⑬懸盤、⑭茵(しとね)、⑮御簾、⑯御簾と御簾の境、⑰打出(うちで)、⑱几帳、⑲・⑳・柱、南廂、簀子、西透き渡殿、高欄、板敷、虎皮を敷いた胡床(あぐら)、西対代(にしのたいしろ)、南広廂(みなみひろびさし)、東孫廂(ひがしまごびさし)、御簾、妻戸、西中門廊、西中門 

庭上:Ⓐ南池、Ⓑ反橋、Ⓒ高欄、Ⓓ水鳥、Ⓔ州浜(すはま)、Ⓕ荒磯(あらいそ)、Ⓖ幄(あく)、Ⓗ大太鼓(だだいこ)の火焔形(かえんがた)、Ⓘ日輪(にちりん)、Ⓙ龍頭の舟(りょうとうのふね)

人物:[ア]天皇、[イ]上皇、[ウ]舞人、[エ]摂政か関白、[オ]大臣、[カ]上達部(かんだちめ)、[キ]衛府の長官、[ク]殿上人、[ケ]左近衛府の次将、[コ]右兵衛府の佐(すけ)、[サ]

前回からの続き〉

寝殿の柱 前回に続き、後白河上皇の御所、法住寺南殿の寝殿造を読み解いていきます。今回は、⑨寝殿の西面から見ていくことになります。

まず、寝殿の柱に注目してください。どこかおかしくはないですか。柱と柱の間隔が変ですね。⑲の柱と⑳の柱の間隔に比べますと、⑳との柱の間隔は二倍になっています。寝殿造の柱間は一定にするのが原則でしたので、このあいだにあるはずの柱を描き忘れているのだと判断されます。この絵巻の原本は失われていて、現存本は模本ですので、模写した絵師の不注意でしょう。しかし、專門の絵師にも見落としがあるのかと思いますと、何やら安心します。

それでは、描き忘れた柱を含めて、寝殿の柱間(ちゅうかん)は幾つになるでしようか。東面の御簾がかかる柱間は三つですので、合わせて九間(きゅうけん)になります。そうしますと、この寝殿の大きさは、七間四面となりますね(第14回参照)。この言い方で、寝殿母屋の桁行(けたゆき)が七間で、その四面に廂が付くことを表しました。大きな寝殿になります。画面では、柱の奥が南廂、人々が座っている所が簀子になりますね。

西透き渡殿 寝殿の西側は、西透き渡殿です。寝殿の簀子から続いて、ここにも貴族たちが座っています。渡殿は、建物と建物を繋ぐ廊下の役割を果たすだけでなく、儀式や行事によっては、こうした物見の場にもなったのです。

貴族たちの身分 貴族たちは、様々な所に控えています。これら貴族たちの身分を考えてみましょう。天皇(居場所は前回参照)に一番近い簀子に座っているのは、[エ]摂政か関白で、それに続くのが[オ]大臣になるでしょう。天皇と摂関・大臣などは、下長押の段差によって、身分の差が明確になっています。簀子の西端あたりから透き渡殿にかけて座るのは、次の身分の[カ]上達部(公卿とも。三位以上)になります。胡簶(やなぐい)[注1]を背負い、緌(おいかけ)[注2]を付けているのは、[キ]衛府の長官、大将などを兼任していることを表します。天皇との距離が、上達部たちの身分の上下とかかわるのです。これらの貴族たちは、束帯装束の下襲(したがさね)の裾(きょ)[注3]高欄にかけて垂らしています。

上達部の下は、[ク]殿上人(殿上を許された四位と五位、及び六位の蔵人)です。建物にはもう座る場がありませんので、地面に置いた板敷に座っています。東面の三人も含めて五人とも、浅沓を脱いで前に置いています。

[ウ]舞人の左右には衛府の武官たちが、虎皮を敷いた胡床(腰掛け)に座っています。東側(右)が[ケ]左近衛府の次将(次官。中将か少将)、西側(左)が[コ]右兵衛府の佐(次官)です。その他の人々は、これより低い身分の武官になります。貴族たちは、位置する場所によって序列化されているのです。

西の対代 続いて、透き渡殿の西側に移りましょう。

寝殿の東西(左右)には、対の屋が建てられるのが寝殿造の基本でした。しかし、この西側の建物を「西の対」として見ると、どうも違うようです。吹き放ちと見られる空間が、南面から東面に渡っています。第13回の「闘鶏の家」や第16回の東三条邸の「東の対」と比べてみてください。共に南広廂がありましたが、寝殿側にはありませんでした。ところが、法住寺南殿では南面から東面にかけてが、広廂(孫廂)のような空間になっています。そして、御簾の掛かる内側が母屋と考えられます。他史料によりますと母屋には南廂と東廂がなく、その代りに南広廂と東広廂になっていると見られます。この絵の感じですと、妻戸が見えますので西廂はあるようですが、北廂のことはわかりません。構造的に「対の屋」ではなく、その代わりとなる「対代」ということになります。平面図を示しましたので、その違いを確認してください。法住寺南殿は、東の対もないようですので、寝殿造の基本から逸脱していく様相を見せているのです。

西中門廊・西中門 残った建物を見ておきましょう。西対代の南にあるのが、西中門廊でした。内側は吹き放ちで、簀子が通っています。屋根が一段高くなっているところが、西中門ですね。ここにも武官たちが控えています。

ここで西中門廊と東中門廊とを比べてみてください。西のほうが立派に見えます。これは、法住寺南殿は、西に正門があることによっています。『年中行事絵巻』には、この場面の前にも法住寺南殿の絵があり、そこには正門も描かれています。絵巻物全集などで確認してみてください。

龍頭の舟 最後にⒶ南池に浮かぶ舟を見ておきましょう。

[サ]四人の童が棹で漕いでいます。このⒿ舟は、舳先(へさき。船首)に龍の頭の形を付けていますので、「龍頭の舟」といいます。鷁(げき)という想像上の鳥の形を付けた「鷁首の舟」と一双になって使用されますので、龍頭鷁首と呼んでいます。鷁首の舟は画面に描かれていませんが、南池のどこかに浮かんでいることになります。なお、龍頭鷁首の舟については、第19回で扱う予定ですので、詳しくはそちらをご参照ください。

以上、前回に続いて法住寺南殿の寝殿造について見てきました。さらに次回でも寝殿造に触れることにしたいと思います。

* * *

  1. 矢を入れて携帯する道具。筒状の壷胡簶に対して、ここは平胡簶と言う。
  2. 武官の冠の左右に付ける扇形に開いた飾り。
  3. 下襲は束帯の下着で、その背後に引く長い裾(すそ)を言う。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も引き続き、別の寝殿造を見ていく予定です。次回の絵には、現代とは少し違った茅の輪くぐりの様子や、陰陽師も描かれています。どうぞお楽しみに。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております