日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第52回 鷹の爪団について

筆者:
2014年1月26日

これまで「当該社会が課す文化的制約」と述べてきたものは、3種類に分けられる。あくまで便宜的かつ暫定的な呼称にすぎないが、これらを「掟」「マナー」「お手本」のように呼び分けることにする。まず、「掟」と「マナー」について紹介しておこう。

「掟」と呼ぶのは、「これこれの行為は、おこなってはならない」というものである。典型例を挙げれば、人を殺してはならない、金品を奪ってはならないといったもので、善良な市民はこの制約内に収まり、邪悪な犯罪者はこの制約からはみ出している。

「マナー」と呼ぶのは、「これこれの行為は、これこれこのような形でおこなうべし」というものである。たとえばレストランで、ナイフやフォークを外側に置かれたものから使っていくのはこの制約に収まっており、逆に内側から使っていくとこの制約からはみ出してしまう。

こう書くと、「掟」か「マナー」かは、「これこれの行為」の想定次第で、両者は本質的にそう違わないように思えるかもしれない。ナイフやフォークを内側から使っていくのが「マナー」違反に思えるのは、「これこれの行為」として「ナイフやフォークで料理を食べるという行為」を想定し、この行為について「ナイフやフォークを外側に置かれたものから使っていくという形でおこなうべし」という「マナー」を想定したからに過ぎないのではないか? もしも「これこれの行為」としてもっと細かい、「ナイフやフォークを内側に置かれたものから使って料理を食べるという行為」を想定すれば、ナイフやフォークを内側から使っていく行為は「これこれの行為は、おこなってはならない」という「掟」への違反となるのではないか?

その通りである。確かに、「掟」と「マナー」は「これこれの行為」の想定次第で、つまり考えようによって近接し、あるいは重なって見える。だが、そのように、「これこれの行為」として細かなものを想定するなら、「掟」は事実上無限になり、私たちにとってリアルなものではなくなってしまう。「ナイフやフォークを真ん中から使って料理を食べるという行為は、おこなってはならない」「ナイフやフォークを外側、内側、真ん中の順で使って料理を食べるという行為は、おこなってはならない」「ナイフやフォークを適当な順番で使って料理を食べるという行為は、おこなってはならない」……こんな「掟」を、私たちはいちいち意識などしていない。これらは「掟」ではなく、「ナイフやフォークを外側に置かれたものから使っていくという形でおこなうべし」という「マナー」に対するさまざまな違反と考えるべきだろう。「掟」と「マナー」は理念としては別物とし、「これこれの行為」としては、あまり細かなものは想定せず、適当な細かさ、と言うしかないが、そのあたりで考えておきたい。

「掟」と「マナー」が別物だということを示す例として、JR西日本の「さわやかマナーキャンペーン」(2010年度~2011年度)に登場した「鷹の爪団」を取り上げてみよう。ここで「鷹の爪団」と言うのは蛙男商会によるアニメ『秘密結社 鷹の爪』に登場する秘密結社を指している。「鷹の爪団」は世界征服を目指しているが、その動機は「人々が疑い合ったり傷つけ合ったりすることのない、誰もが幸せに生きられる世界にするため」という実に穏やかなもので、JR西日本の「さわやかマナーキャンペーン」においても総統以下、団員たちが乗車マナーの遵守を訴えている。ここに掲げた図はその一例で、整列乗車を呼びかける構内ポスターである。

ポスターの中央には、野球のユニフォームに身を包んだ「鷹の爪団」の団員たちがきちっと列を作って列車に乗り込む模様が描かれており、右下では、いかにもそれらしい風体の「鷹の爪団」総統が「そうだ! スポーツマンならルールを守って順番に乗車するのじゃ!!」と、正しいことを言っている。なんだか秘密結社として似つかわしくない、柄にもない言動という気はするが、それが「鷹の爪団」なのである。(なお、ポスター左下には「秘密結社 鷹の爪 EAGLE TALON」という恐ろしげなロゴがあり、その下に「マナーの掟」などという、読者の混乱を招きかねない文句が書かれているが、これはきっと、鷹の爪団ではマナーが純粋なマナーとして存在せず、「マナーは破ってはならん! それが鷹の爪団の鉄の掟じゃ!!」てな具合に掟と結びついて大げさに厳格化され、朝礼では「めざせ、世界征服! 気を付けろ、箸の上げ下ろし!」みたいな唱和がおこなわれているに違いないものとして、深く考えないでおく。)

世界征服とは、現存する全国家の主権の剥奪であり、紛れもない「悪」の行為である。「鷹の爪団」は、世界征服をたくらむ悪の組織として「掟」を破る一方で、「マナー」はきちんと遵守するという立場に立っていることになる。

このような立場が、なんだかおかしな感じではあるとはいえ可能なのは、「掟」と「マナー」が別物であればこその話だろう。

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※編集部補足
JR西日本の「さわやかマナーキャンペーン」(2010年度~2011年度)での「鷹の爪団」ポスター画像(「並ぼう!」とあるもの)を掲載しておりましたが、掲載許可期間の終了にともない、画像を削除しました(2015年1月20日)。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。