タイプライターに魅せられた男たち・第116回

ジェームズ・デンスモア(9)

筆者:
2014年1月30日
ブロードウェイから見たセダー通りの入口(1870年頃)、角にあるのはエクイタブル生命ビル

ブロードウェイから見たセダー通りの入口(1870年頃)、角にあるのはエクイタブル生命ビル

ハリントンとの商談と並行して、デンスモアは、ニューヨークのローデブッシュの事務所も訪ねました。ローデブッシュの事務所は、ウォール街ちかくのセダー通りにあって、デンスモアの弟エメット(Emmet Densmore)や、ローデブッシュの弟ロレンツォ(Lorenzo Roudebush)も働いていました。事務所の名義は、もちろん、デンスモアとローデブッシュの共同名義(Messrs. Roudebush, Densmore & Company)になっていました。石油ビジネスの打ち合わせに加えて、デンスモアには別の相談がありました。セダー通りは、ブロードウェイからエクイタブル生命ビルを曲がったところにある東西の通りですが、かなり狭い通りなので、馬車も人もそんなには通りません。もう少し広い通りぞいに、この事務所を引っ越すのはどうだろうか、というのがデンスモアの相談の内容でした。広い通りといっても、馬車が数多く通るようなブロードウェイの物件は家賃が高いので、馬車よりはむしろ人通りの多い1階で、家賃もあまり変わらないような近くの物件に、事務所を移そうというのです。

ローデブッシュにとって、これは妙な提案でした。ニューヨークのローデブッシュの事務所の機能は、石油の輸送と売買に関する伝票や注文や金銭の処理なので、ウォール街に近接していればよく、広い通りに面している必要は特にないのです。デンスモアの提案は、道理に合わないように思えるのです。実はデンスモアは、ニューヨークに、タイプライターのショールームを開設したいと考えていました。ただ、タイプライターのショールームとは言っても、実際のところ、そんなにお客が入って来るとは思えませんし、ましてや買ってくれる人など、まだまだ少ないでしょう。そこで、ローデブッシュの事務所を人通りの多い場所に移して、そこにタイプライターを飾り、日頃はついたての向こうで伝票や注文を処理していて、タイプライターを見たい客が入って来た時だけデモンストレーションする、というやり方を思いついたのです。このやり方であれば、ショールームのために新たに人を雇う必要もなく、デンスモアにとっては一石二鳥だったのです。

タイプライターを、ローデブッシュやエメットやロレンツォがちゃんとデモンストレーションできるのか、という点についても、デンスモアは楽観的でした。伝票や注文書をタイプライターで打つようにすれば、それ自体が練習になるし、実際、手書きよりは絶対に早くて、1分あたり60~80ワードは打てるようになる、とデンスモアはローデブッシュを説得しました。もちろんこれは、デンスモアのハッタリだったのですが、それでもローデブッシュは、事務所の引っ越し先を探すことに決めたのです。

ジェームズ・デンスモア(10)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。