タイプライターに魅せられた男たち・第118回

ジェームズ・デンスモア(11)

筆者:
2014年2月13日

自宅のあるウッドコック・クリークと、オイル・クリーク、コリー、ミルウォーキー、シカゴとの間を忙しく飛び回る中、デンスモアはニューヨークにも出向きました。ローデブッシュが、セダー通りにあった事務所を、隣りのパイン通りに移した、との連絡を受けたからです。パイン通りは、セダー通りの一つ南の通りで、ウォール街のすぐ北に位置するのですが、しかし、あまり広い通りではありません。とりあえず、タイプライターの試作機を持ち込んで、ショールームっぽくしたものの、デンスモアは、パイン通りの新しい事務所が気に入りませんでした。もっと広い通りに面した事務所を探すよう、ローデブッシュに持ちかけたのです。

さらにデンスモアは、ブロードウェイ64 & 66番地のオートマチック・テレグラフ社を訪ねました。社長のハリントンのもと、オートマチック・テレグラフ社は、ニューヨーク~ニューアーク~トレントン~フィラデルフィア~ボルチモア~ワシントンDCでの電信業務を開始していました。オートマチック・テレグラフ社は、ショールズのタイプライターを業務に使用すべく、実地にテストを続け、改良すべき点をショールズにフィードバックしていました。デンスモアの見る限り、ライバルのエジソンは、約束の『タイプホイール式ユニバーサル・プリンター』を開発しきれていないようでした。オートマチック・テレグラフ社に、エジソンの試作機が見当たらなかったからです。

1871年8月29日、プラテンに関するショールズの特許(United States Patent No.118491)が成立しました。特許代理人は、もちろんデンスモアでした。実はデンスモアは、この特許以外にも、ショールズから特許申請書を受け取っていたのですが、あえて、それらの特許を成立させていませんでした。とりあえず一つでも特許を成立させておけば、特許使用料の請求には十分だからです。翌1871年9月、オートマチック・テレグラフ社は、ショールズのタイプライターを、電信業務に採用しました。デンスモアはショールズに、タイプライターの増産を指示し、ローデブッシュの事務所を経由して、オートマチック・テレグラフ社に納入するよう手はずを整えました。一方のローデブッシュは、パイン通りの事務所を、今度はハノーバー通りに引っ越しました。ハノーバー通りの新しい事務所は、人通りの多い三叉路に面していて、やっとデンスモアも納得したようでした。

ジェームズ・デンスモア(12)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。