絵巻で見る 平安時代の暮らし

第21回 『年中行事絵巻』巻八「騎射」を読み解く

筆者:
2014年3月4日

場面:右近衛府の真手結(まてつがい)の騎射(きしゃ・うまゆみ)
場所:右近衛府の馬場
時節:5月6日

事物:①雄埒(おらち) ②雌埒(めらち) ③的懸の木(まとがかりのき) ④串 ⑤・⑬的(まと) ⑥巻纓(けんえい) ⑦緌(おいかけ) ⑧弓 ⑨鏑矢(かぶらや) ⑩平胡簶(ひらやなぐい) ⑪行縢(むかばき) ⑫幣(ぬさ) ⑭・⑮胡床(こしょう) ⑯交名の簡(きょうみょうのふだ)

建物:Ⓐ大殿屋(おとどや) Ⓑ母屋 Ⓒ廂 Ⓓ簀子 Ⓔ階 Ⓕ檜皮葺(ひわだぶき) Ⓖ階隠(はしがくし) Ⓗ壁 Ⓘ菖蒲 Ⓙ畳 Ⓚ高坏 Ⓛ幄舎(あくしゃ)

人物:[ア]冠直衣の公卿たち [イ]右近衛府の次将(次官。中将と少将)たち [ウ]随身(ずいじん)  [エ]供人 [オ]射手(いて) [カ]幣持ち [キ]的掛け役 [ク]右近衛府の府生 [ケ]見物人たち

絵巻の場面 この絵は何を描いているのでしょう。馬上から弓を射っているのがわかりますね。これは、馬上から弓で的(まと)を射る騎射と呼ぶ競技を描いています。

騎射は本来、5月5日・6日に宮廷の端午節会(たんごのせちえ)で行われていました。この節会に先だち、4月28日に諸国の牧から献上された馬や、騎射などに使用される馬を引き廻して帝が御覧になる、「駒牽(こまひき)」があります。5日には邪気を払うとされた菖蒲が帝に献上され、5・6の両日、大内裏中央西側にあった武徳殿(ぶとくでん)という殿舎で、この騎射や競馬(くらべうま)、あるいは雑芸・奏楽などが行われました。また、騎射をする左右の近衛府は、「荒手結(あらてつがい)」、「真手結(まてつがい)」と呼ぶ予行演習をしました。3日が左近衛府の荒手結、4日が右近衛府の荒手結、5日が左近衛府の真手結、6日が右近衛府の真手結というように日も決まっていました。そして、10世紀後半には武徳殿での儀式が廃止されましたが、菖蒲を軒先に葺き、鬘(かずら。頭の飾り)や薬玉にする風習は残り、手結が年中行事として定着して、人々の物見の楽しみとなりました。この絵は、その6日の右近衛府による騎射の真手結が描かれているのです。

騎射が行われる場所 この騎射が行われているのは、どこになるでしょうか。ここは右近衛府用の馬場で、平安京右京一条西大宮の北西の京外、現在の京都市北野天満宮近くにありました。左近衛府用の馬場は、左京一条西洞院(にしのとういん)の北西になります。馬場には、馬を走らせる所(狭義の馬場)と、それを見物するいくつかの建物が設けられています。これらについては、絵巻を見ながら確認していくことにしましょう。

馬場の設営 それでは馬を走らせる馬場を見てみましょう。画面は、連続式絵巻の四分の一ほどになりますが、これでも馬場の様子が分かります。現代の競馬場とは違っていますね。長円形ではなく、当時は直線でした。左右近衛府の馬場は、いずれも北から南に走らせましたので、画面右が北となります。馬が走りだす所を馬場本(ばばもと)とか馬出(うまだし)と言い、走る先を馬場末とか馬駐(うまとどめ)と言いました。

馬場の両側には柵が見えます。これを埒といい、木や竹などで結いました。画面手前が高く、奥が低くなっていますね。高いのを①雄埒、低いのを②雌埒と言います。画面で、雌埒の一部分が切られてつながっていません。これは出入り用に空けてあるのです。

騎射の的 さて、騎射は弓で的(まと)を射るわけですが、それはどこにあるでしょうか。③立木の側の①雄埒に立てた④串に⑤的がかけられているのが分かりますね。木が目印となるおかげで、射手は的の見当がつきます。この木を③的懸の木と言い、馬場に3本植えました。したがって、的の数も3つとなり、画面では2つ目になります。

大殿屋 馬場には観覧用の建物が設けられ、それをⒶ「大殿屋(乙殿屋とも)」とか「馬場殿(うまばどの・ばばどの)」などと言いました。画面に見える建物がそれです。正面五間、側面は三間でしょうか、中央にⒷ母屋、Ⓒ廂は南北だけのようです。西側は分かりませんが、北と東にⒹ簀子があり、正面中央にⒺ階、その上部はⒻ檜皮葺の屋根が張り出したⒼ階隠になっています。大きな建物ですが、よく見ますとⒽ壁が崩れているのが分かります。だいぶガタがきているようですね。使用頻度があまり高くないからかもしれません。

階隠を含めて屋根からは、細長いものの束が垂らされていますね。これは何でしょうか。建物にガタがきて、雑草が生えているわけではありません。これは、冒頭に記しましたように、Ⓘ菖蒲が葺かれているのです。五月の風景の一コマと言えましょう。

大殿屋での見物 さらに大殿屋にいる人たちをみておきましょう。母屋のⒿ畳に座っているのは、冠直衣姿ですので武官ではなく、[ア]公卿たちです。廂に座るのが武官姿の[イ]右近衛府の次将たちになります。公卿のたちの背後にはわずかにⓀ高坏が見えますので、飲食しながらの見物です。大殿屋の北側で弓矢を持つのは公卿の[ウ]随身、立烏帽子は[エ]供人と思われます。

射手の装束 続いて、騎射の[オ]射手を見ましょう。この射手には、三等官の将監(しょうげん)、四等官の将曹(しょうそう)や下級職員の府生(ふしょう)、舎人(とねり)がなります。装束は第12回で見ました「賭弓」と同じで、⑥巻纓・⑦緌の冠をかぶり、⑧弓を持ち、⑨鏑矢を入れた⑩平胡簶(ひらやなぐい)を背負い、画面では判然としませんが麻鞋(まがい・おぐつ。麻で編んだ浅沓)を履きます。違うのは、太刀を帯びないことと、騎乗用に腰から下を覆う熊皮の⑪行縢を着けることで、絵でもそれとなく分かります。

描かれた人々 さらに、その他の人々を確認しておきます。埒内に座る三人のうちの[カ]一人が、旗めくものを持っています。これは⑫幣で、的の当たりを知らせました。

的は射ぬかれると替える必要があり、その役をする人が[キ]です。その前には、⑬的が置かれていますね。この役は目立ちますので、容貌の端正な者が選ばれました。女性の見物客の視線をさぞかし浴びたことと思われますが、この絵ではどうでしょうか。

大殿屋の右手前で、⑭胡床(携帯用腰掛け)に座っているのは、 [ク]府生で出番の整理にあたります。その前の⑮胡床に立てかけられた板は、⑯交名の簡といい、射手の名簿が貼られています。府生は、これを見て確認しているわけです。

府生たちは、楽人や舞人を兼ねる場合が多くありました。騎射が終わると饗宴となり、この府生たちが、舞楽を行ないました。大殿屋の南側にあるⓁ幄舎(テント)は、そのために用意されるのです。

画面右にいるのは[ケ]見物人たちです。馬場の南のほうには、さらに物見車に乗った人たちなどが多く描かれていて、騎射の光景となっていますので、原典で確認してください。

おわりに 今回は画面で判然としませんので、馬具一式(広義の鞍)については省略しました。別の機会にできたら扱いたいと思います。なお、騎射と似た競技に「流鏑馬(やぶさめ)」があります。これは武家の方式による実戦的なもので、催行の仕方や馬場・的・射手の装束などに違いがあります。このことだけ確認して今回は終わりにしたいと思います。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回からは、『源氏物語絵巻』シリーズを開始いたします。シリーズ最初の巻は、「蓬生」です。どうぞお楽しみに。

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