日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第55回 「掟」破りについて

筆者:
2014年3月9日

日本語社会における文化的制約の3種,具体的には「掟」「マナー」「お手本」を紹介したところで(補遺第52回第54回),まず「掟」に関する表現について見てみよう。

或の日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る

[さだまさし『檸檬』1978.]

てな歌詞に魅せられてぼぅーっとなり,果実店の店先からアンニュイでメランコリックな面持ちでレモンをそっと持ち去ったりすると,たちまちとっつかまって,ニュースで,

「今日午後,文京区の果物屋で盗みをはたらいた男が店員に取り押さえられ,駆けつけた本富士警察署員に逮捕されました。男は取り調べに応じて『檸檬は近くの湯島聖堂で女に渡そうと思った』などと供述しているということです」

のように,「男」呼ばわりされ,美しかったはずの行為は「盗みをはたらいた」とコギタナク総括され,我ながらいじらしかったその動機も「~などと供述」と,いかがわしく胡散臭いものとして喧伝されてしまうから,くれぐれも用心しなければならない。(ちなみに,檸檬泥棒は男性というのが私の歌詞解釈で,歌詞をなぞるように行動しようとする人物も上では男性としたが,もし女性が盗んだのなら,「女は『湯島聖堂で太陽にかざそうと思った』などと供述」となるだろう。)

良き市民とはいつも必ず「掟」を守るものであって,「掟」を破るのはニュースで「男」「女」と呼ばれるような,良き市民とは切り離された一部の特殊な悪者だけ,というのがこの社会の通念である。おそらくはそのせいだろう,「動作を描くことばが,動作だけでなく,その動作をおこなう特定の人物像(表現キャラクタ)までも浮かび上がらせる」という現象は,「掟」を遵守する動作の場合より,「掟」に違反する動作の場合に観察される。

ひとくちに「掟」に違反する動作といってもさまざまで,それを描くことばも,動詞になっているものだけでも多岐にわたるが,それらの多くは「カンニングする」「偽造する」「着服する」「密売する」「誘拐する」のように,ただ単純に「掟」破りの動作を描いており,誰に対しても開かれている。初犯でも常習犯でも誰でも,「カンニングした」ならカンニングしたのであり,「誘拐した」なら誘拐したことに変わりはない。いざそれが発覚すると,あの人はこんな悪事をする人じゃなかったのに,実は悪者だったんだ,いやぁ,人というものはわからんなぁという感じである。

このような大多数の動詞とは違って,少数ながら一群の動詞は,誰に対しても開かれてはおらず,一部の『悪者』専用の動詞と言える。たとえば,悪いと思い,何度もためらいつつも,貧窮のあまり,つい女性を「騙して誘拐した」,という言い方はできるが,悪いと思い,何度もためらいつつも,貧窮のあまり,つい女性を「甘言を弄して」「たぶらかし」「かどわかし」「たらし込んだ」,というのはちょっとおかしいのではないか。「甘言を弄して」「たぶらかし」「かどわかし」「たらし込む」者は,そんなことちっとも悪いと思っていないし,ためらいもしない。警察につかまって「またお前か」とあきれられ,「へっへ。こんどはちょっと長いだろうな。さぁ行こうか」と言うような,私たちが安心して『悪者』と呼べる人物の姿が浮かんではこないか。

動詞「たくらむ」も同様である。カンニングがばれた大学生が「試験勉強の時間がとれなかったので,つい,カンニングをたくらみました」と反省文を書いてきたら,私なら「お前じゃあ,無理」と,吹いてしまうだろう。多くの辞書は「たくらむ」を「悪いことを計画すること」などとだけ説明しているが,悪の秘密結社「鷹の爪団」のような(補遺第52回),それなりの『悪者』であってもらわないと何事であれ「たくらむ」ことはできない。

えっ,次の(1)のような「ペットがたくらむ」はどうするのかって?

(1) Q: このネコの目つき,何をたくらんでいるの?
  A: この後,極上のゴロニャンスタイルで,鰹節をねだろうか,煮干しをねだろうか,どんな声のトーンで行こうかと企んでいる所です^o^

[//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129908577,2014年3月1日.]

いやいや,これは反例とするには当たりません。これは,床に落ちたブロッコリと「勇ましく」戦うポメラニアンと同様(補遺第43回),ネコをかわいく肯定的に描こうとする,「つもり」「ホント」の混在文脈によるものと考えておけばいいでしょう。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。