タイプライターに魅せられた男たち・第122回

ジェームズ・デンスモア(15)

筆者:
2014年3月13日

1873年2月、デンスモアとヨストは、イリオンにいました。バッファローからニューヨーク・セントラル鉄道をハーキマーまで行き、ハーキマーからエリー運河を渡ってすぐのところに、イリオンの町はありました。イリオンは、銃とミシンの生産で繁栄を極める企業城下町でした。ここで、デンスモアとヨストは、レミントンに、タイプライターのプレゼンテーションをおこなうことになっていました。デンスモアは、タイプライターの最新モデルではなく、安定して動作するやや古いモデルを、イリオンに持ち込んでいました。

デンスモアがイリオンに持ち込んだタイプライター(1922年撮影のため「S」のキーが欠けている)

デンスモアがイリオンに持ち込んだタイプライター(1922年撮影のため「S」のキーが欠けている)

デンスモアがタイプライターで書いた手紙は、レミントンの興味を強く引いたらしく、E・レミントン&サンズ社側は、社長のレミントン、取締役のベネディクト(Henry Harper Benedict)、技師長のクロー(Jefferson Moody Clough)、技師長補佐のジェンヌ(William McKendree Jenne)の4人が、デンスモアを待ち受けていました。一方、デンスモアは、ショールズをイリオンに連れてくることができず、ヨストと二人でイリオンに来ていました。この時のことを、ベネディクトは後にこう回想しています。

デンスモアは、我々の見た限り、あまり雄弁ではなさそうだった。デンスモアは「モーセに対するアロンとして」ヨストを連れてきた、と説明した。実際ヨストは、私の知る限りで、最も説得力のある話し手の一人であり、その舌は疲れを全く知らなかった。
デンスモアとヨストは、当時はスモールズ・ホテルとして知られていたオスグッド・ハウスの一室で、彼らが持ってきたモデルを、実際に我々の前に出してきて動かして見せた。この会合に出ていたのは、レミントン社長、クロー技師長、ジェンヌ技師長補佐、デンスモア氏、ヨスト氏、そして私だった。我々はその機械をよく吟味し、さらには1時間半か2時間ほど議論して、その後、一旦、彼らと別れて、昼食だったか夕食だったかに向かったと思う。スモールズ・ホテルの部屋を出る際に、レミントン社長が私に尋ねてきた。「あれをどう思う?」私は答えた。「あの機械は非常に粗雑なものですが、将来、ビジネスに革命をもたらすだろうアイデアを秘めています」社長はさらに尋ねた。「話に乗るべきだと考えるかね?」私は言った。「追い返す理由など全くありません。彼らに対し、我々がこの発明に心酔しているなどと言う必要はありませんが、ほとんど心酔してしまっている自分に、私自身驚いています」

ジェームズ・デンスモア(16)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。