談話研究室にようこそ

第74回 見立て・すり替え・ぼかし(その2)

筆者:
2014年3月20日

次は,すり替えです。

やかんを火にかけたままにしていたら,ものすごい勢いで沸騰しています。思わず近くにいた家族に頼みます。「やかん止めて!」そのとき,「やかんじゃなくてコンロの火を止めるんでしょ」と訂正されたら,少しムッときますよね。とにかく火を止めてよって言いたくなります。

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同様に,少し暑いので「扇風機回してくれる?」と頼んだら,「ちょっと待ってね,よっこいしょ」と持ち上げた扇風機本体をぐるぐる回しだしました。もう,相手をするのが面倒くさいですよね。

やかんの相手も扇風機の君も,表現を(わざと)文字通りに受け取りました。すると,表現と現実とのあいだのズレが明らかになりました。このズレはすり替えの結果生じたものです。「やかん」と「コンロの火」は隣り合っています。回るべき扇風機の羽根と,扇風機本体とは部分と全体の関係です。部分と全体はちょっと特殊な隣り合い方をしていると考えればいいでしょう。

すり替えは,あるものをそれと隣り合うものにずらして表現する方法です。この方法の背後には,隣接する物を同じと見る認知戦略があります。

そのようなとらえ方がよく現れる行為に形見分けがあります。たとえば,おばあさんの形見に櫛をもらったと仮定してください。たとえそれが歯の欠けた小汚い櫛であったとしても,愛するおばあ様がずっと愛用していらした物なら,おばあさんと同じように愛しいはずです。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の精神です。

すり替えも日常のことばのそこここに見受けられます。お湯を沸かしてレトルトをあっためるのも面倒だからチンして出来上がり。それじゃ,あんまりだから今晩はやっぱり鍋だ。鍋が煮えたら食べるぞー。前の3つの文にいくつすり替えがありましたか。

細かいことを言うようですが,沸かす本来の対象は水です。沸かした結果,お湯になります。その結果の「お湯」を目的語にとりました。レトルトは「缶詰や袋詰め食品を高圧・高温殺菌するための装置」のことですが,その装置で作った結果の食品もレトルトと呼ぶことがあります。「チンする」は,出来上がりの「チン」という合図の音によってレンジで温めるというプロセス全体を表します。鍋は入れ物で食べたり煮えたりするのはその中身です。ですが,私たちは,グツグツいっているそれを「鍋」ととらえます。

今取り上げた例において,結果(お湯)と原因(水),原因(レトルト)と結果(レトルト食品),結果(チン)とプロセス(温める),入れ物(鍋)と中身(具と出汁),これらはみな時間的に(因果関係で)もしくは空間的に隣接しています。すり替えはそのような関係における横滑りの現象です。私たちの関心の方向に合致する横滑りなので,このような認識と表現の機構があるととても便利で効率的なのです。

と,すり替えとぼかし,2つの説明を一度にすませるつもりでしたが,すり替えについてちょっとがんばりすぎてしまいました。ぼかしは次回に。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。