タイプライターに魅せられた男たち・第123回

ジェームズ・デンスモア(16)

筆者:
2014年3月20日

デンスモアを『出エジプト記』の寡黙な預言者モーセに、ヨストをその雄弁な兄アロンにたとえるなら、もしかしたらベネディクトは、彼らのために戦う従者ヨシュアになったのかもしれません。

1873年3月1日、ヨストやベネディクトの立会いのもと、デンスモアとレミントンは契約を結びました。タイプライターの製造に関する契約です。この契約では、E・レミントン&サンズ社が製造するタイプライターは、全てデンスモア側が買い取ることになっており、宣伝や販売に関しては全てデンスモア側がおこなうことになっていました。また、タイプライターの製造費用は前金、という契約内容でした。レミントンはタイプライターの製造だけを請け負い、販売のリスクは全てデンスモアが引き受ける、という、デンスモアにとっては厳しい契約内容だったのです。

しかしデンスモアも、こと特許に関しては、かなり有利な条件をレミントンから引き出していました。ショールズらのタイプライター特許に関して、レミントン側に特許使用料を払わせる契約としたのです。それに加え、クローやジェンヌがタイプライターを改良する発明をおこなった場合も、その特許はデンスモアを介して出願する、という契約にしました。タイプライターの製造開始は、半年後の1873年9月を予定しており、デンスモアは前金を集めるために、シカゴのウェスタン・ユニオン・テレグラフ社へと舞い戻ったのです。

ウェスタン・ユニオン・テレグラフ社でデンスモアは、バートン(Enos Melancthon Barton)という人物に紹介されました。バートンは、ウェスタン・エレクトリック社の取締役の一人で、電信技術者であると同時に、数々の電信機の設計をおこなっていました。そのバートンにステイガーは、タイプライターの販売およびメンテナンスをおこなうよう、指示を出したのです。確かに、E・レミントン&サンズ社は、タイプライターの製造は請け負ったものの、メンテナンスまで請け負ったわけではありませんでした。今後、ウェスタン・ユニオン・テレグラフ社で、電信業務にタイプライターを使っていくならば、必ずや修理やメンテナンスが必要になるだろう、とステイガーは踏んだのです。そこで、タイプライターの修理やメンテナンスを、ウェスタン・エレクトリック社でおこなうことにし、さらには、タイプライターの販売までおこなおうとしたのです。

デンスモアとしては、タイプライターのメンテナンスをウェスタン・エレクトリック社がおこなってくれるのは、ある意味、渡りに船でした。しかし、タイプライターの販売をバートンに任せるのは、無理があるように思えました。そこでデンスモアは、ウェスタン・ユニオン・テレグラフ社への販売を含め、シカゴでのタイプライターの販売を、ウェスタン・エレクトリック社に任せることにし、他の地域での販売はデンスモア自身の管理下におく、ということにしました。デンスモアとしては、少なくともニューヨークでのタイプライター販売は、ローデブッシュの事務所を経由すべきだと考えていたのです。

ジェームズ・デンスモア(17)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。