歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第119回 Sexual Healing(1982/全米No.3,全英No.4)/ マーヴィン・ゲイ(1961-1984)

2014年4月2日
「Sexual Healing」日本盤シングルのジャケ写

●歌詞はこちら
//www.metrolyrics.com/sexual-healing-lyrics-marvin-gaye.html

曲のエピソード

1984年4月1日、マーヴィン・ゲイは実父によって銃殺され、45歳の誕生日を翌日に控えたその日に44年の短い生涯を閉じた。生前最後の大ヒット曲はこの「Sexual Healing」(R&BチャートNo.1)で、同曲を引っ提げての久々の全米ツアーも行われたのだが、マーヴィンはなくなるまで麻薬との縁が切れなかったという。そのことは、病床にあった彼の母親も証言している。人一倍繊細で内省的な性格だっがことが災いしたのか、彼は最期まで人生を謳歌できないまま生涯を閉じた。

様々な問題を抱えたまま、マーヴィンはベルギーの港町オステンドに居を移した。恐らくは、心身の浄化をその地で試みようとしたのだと思われる。そして出来上がったのが、久々の大ヒット曲「Sexual Healing」を含むアルバム『MIDNIGHT LOVE』だった。一説によると、ミュージシャンを雇う資金すらなかったがために、シンセサイザーを駆使したいわゆる“打ち込みサウンド”が大半を占める作品となったのだが、奇しくも、そのサウンドが後のR&B/ソウル・ミュージックのアーティストたちに多大な影響を及ぼしたことは、不幸中の幸いだったのかも知れない。何しろ、「Sexual Healing」以降、同曲の亜流ともいうべき曲が量産されたのだから。同曲は、次世代のR&Bサウンドの基本形を作ったと言っても過言ではない。

曲の要旨

ベイビー、今夜はぼくと愛し合おうよ。胸の奥がざわめいて、どうにもこうにも気分が優れないのさ。そんな時の特効薬は、君と生まれたままの姿でひとつになること。ぼくの身体はもうオーヴンみたいに火照っていて、今すぐ君と愛し合いたくてたまらないんだ。憂鬱な気分を晴らすためには、君と愛し合うしかないのさ。だから今夜、ぼくと愛し合おう。さぁ、起きて、ぼくと愛し合おうよ。

1982年の主な出来事

アメリカ: 第40代大統領のロナルド・レーガンによる経済政策(いわゆるReaganomics)が失敗に終わり、インフレが進み失業率が11パーセントに達する。
日本: 東京のホテルニュージャパンで火災が発生、死傷者が67人にのぼる大惨事に。
世界: 3月にフォークランド紛争が勃発(同年6月に終結)。

1982年の主なヒット曲

I Can’t Go For That/ダリル・ホール&ジョン・オーツ
Even The Nights Are Better/エア・サプライ
Keep The Fire Burnin’/REOスピードワゴン
Hold Me/フリートウッド・マック
Get Down On It/クール&ザ・ギャング

Sexual Healingのキーワード&フレーズ

(a) sexual healing
(b) make love
(c) do something right

これはマーヴィン・ゲイにとっての生前最後の大ヒット曲である。R&Bチャートでは10週間にもわたってNo.1の座を死守したものの、残念ながら全米チャートではNo.3止まり。それでも、彼にとっての生涯最初で最後のグラミー賞をもたらした。「これを受賞するのを20数年も待っていたんだ…」と、受賞スピーチで嬉しそうに語っていたマーヴィンの姿が今も脳裏から離れない。本連載第1回で採り上げた「What’s Going On」ですら、彼にグラミー賞をもたらすことはなかったのだから。

筆者の知人・友人の中には、この曲のタイトルを「Sexual FEELING」だと勘違いしていた人が少なくない。何故なら、1982年当時、“healing”という言葉が日本人の間ではまだ馴染みがなかったから。今なら「ヒーリング」というカタカナ語でも通じるのだが(しかし気味悪いカタカナ語である)、当時は“healing=癒し”という英語がそれほど浸透していなかった。(a)を日本語に訳すのは難しいが、例えばこんなのはどうだろう。「セックス治療」――ダメでしょうか。つまるところ、この曲は悶々とした気持ちを抑え切れない男性が愛する女性とのセックスによってその焦燥感が軽減される、と歌っているのである。筆者のある知人が「だからこの曲が嫌なんだよ」とハッキリと言い放ったものだ。

(b)は洋楽ナンバーに最も多く登場するイディオムのひとつであると同時に、非常に訳しにくい言い回しのひとつ。「セックスする」では即物的だし、「合体する」では野暮な感じが拭えない。筆者はこのイディオムに出くわすたびに「生まれたままの姿で愛し合う」、「身体を重ね合う」といった風に訳してきたのだが、そのたびに思うのは、“make love”に相当する日本語があればいいのになあ、ということである。ある知人が「“make love”を”抱く”としか訳せません」と言っていたが、何となくその気持ちが解らないでもない。

これまた日本語に訳しにくいのが(c)である。直訳すれば「~を正しくやる」だが、それだと無味乾燥な日本語になってしまう。この曲の場合、主人公の男性=マーヴィンが愛する女性に向かって言っているのだから、意訳するなら「君ならきっとぼくのイライラした気持ちを(セックスで)鎮めてくれるよ」といったところか。先述の「この曲が嫌いだ」と言い放った知人は、ここのフレーズが最も癇に障るそうである。それを聞いた時、つくづく男と女の“性”の違いを思い知らされた。筆者はそこのフレーズが最も好きだから。

今から32年前の秋にリリースされた曲が今なお新鮮に耳に響く。筆者にとって、今もこの曲はマーヴィンの“新曲”である。

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。