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第75回 見立て・すり替え・ぼかし(その3)

筆者:
2014年4月3日

そして最後は,ぼかしです。ぼかしは,あるカテゴリーを表すことば(上位語)でそのカテゴリーに属する構成素を指し示します。平たく言うと,一般的な(ぼかした)ことばで特殊なものを表現する方法です。表す意味は本来指し示す内容よりも特殊なものに絞り込まれています。だから,(意味の)特殊化と呼んでもいいでしょう。

具体例について考えてみましょう。まずは「親子丼」。親子丼と言えば,鶏肉と鶏卵の組み合わせですが,親子のペアはこの組み合わせ以外にもいろいろあります。だから,イクラとトロサーモンがどんぶりに載っていてもいいはずです。(そういえば以前,行きつけの居酒屋で「親子サラダ」というのを注文したら,豆腐の上に納豆が載っていました。親子というよりも,孫と婆ちゃんのような気がしました。)しかし,「親子丼」は,数ある親子の組み合わせから鶏肉とたまごを選び出します。

そう言えば「たまご」も問題です。「たまご焼きできたわよ」と言われて,カエルの卵が焼いてあったら,かなり厳しいものがあります。ふつうは,「たまご」という類全体を表す名前で鶏卵という種を指し示します。「花見」も同様です。「花」という類名で「サクラ」という種を表します。花見においでと友人宅に呼ばれていったら,ドクダミの花が満開って,そんな訳ないですよね。

ぼかしはすり替えとよく混同される概念です。サクラを花の部分だと考えてしまうと,羽根と扇風機全体との関係と間違えてしまいがちです。扇風機はそれを現実に構成する要素(部分)として羽根や羽根カバー,モーターといった部分を持ちます。他方,サクラと花の関係は意味の関係です。「花」という意味上のカテゴリーの構成要素として,サクラやチューリップ,ヒマワリやらドクダミがあります。

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もう少し分かりやすい例で言うと,犬というカテゴリー(類)に,柴犬やラブラドール・レトリバー,ブリタニー・スパニエルにワイマラナーといった(種)が存在する関係と,犬のからだ(全体)が頭と胴体と脚と尻尾(部分)からなるのとは,明らかにレベルの違う話です。

ぼかし(特殊化)には対になる比喩が存在します。一般化です。これは逆に特殊例(種)で一般(類)を表す比喩です。「サランラップ」「エレクトーン」「セロテープ」「ホッチキス」。これらはすべて,もともと特定の商標名です。しかし,とても有名になった商標名は,食品用ラップ全般,電子オルガン一般,等々,というように,その商標が属するカテゴリーを指すのにしばしば使われます。「人はパンのみによって生くるにあらず」ということばの「パン」も同様です。パンという個別の種を表す名前が,食べ物というカテゴリー(類)全体を指し示しています。

ひとつの意味カテゴリーが与えられたとき,そのカテゴリーの典型例(パンとかエレクトーン)は,しばしばそのカテゴリーを代表するかのような印象を与えます。だから,個別の種の名前(「パン」)が当該の類(食べ物全般)を指す現象,もしくはその逆の「花」や「たまご」という類名が「サクラ」や「鶏卵」という典型的な種を表すという現象は,私たちの関心のあり方に合致しており,自然なのです。

ぼかし(特殊化)と一般化をあわせると,佐藤信夫や瀬戸賢一が言うシネクドキ(提喩)という比喩になります。(興味のある人は佐藤信夫『レトリック感覚』(講談社学術文庫,1992年)や瀬戸賢一『レトリックの宇宙』(『認識のレトリック』所収,海鳴社,1997年)をご覧になるといいでしょう。どちらも,英語で書かれなかったことが残念と言うか,日本語で読めることが幸せな本です。)ここではやはり分かりやすさを重視して(また,以降の回で述べますが,婉曲を論じる際には一般化のお世話にはなりませんので),「ぼかし」という名称をもっぱら用います。

これで,基本的な比喩3種の紹介が終わりました。次回からは,この「見立て」「すり替え」「ぼかし」の3つをたよりに婉曲表現を観察していきます。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

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