タイプライターに魅せられた男たち・第125回

ジェームズ・デンスモア(18)

筆者:
2014年4月3日
「Sholes & Glidden Type-Writer」1号機

「Sholes & Glidden Type-Writer」1号機

1874年4月30日、デンスモアのもとに「Sholes & Glidden Type-Writer」の最初の1台が、E・レミントン&サンズ社から届きました。同じ頃、ショールズやステイガーのもとにも、「Sholes & Glidden Type-Writer」が届いていました。E・レミントン&サンズ社は、やっとタイプライターの生産を開始したのです。それにしても、このタイプライターの外見は、まるで足踏み式のミシンでした。

生産こそ始まったものの、デンスモアは、タイプライターの新たな売り込み先を、見つけきれていませんでした。大文字しか打つことのできない「Sholes & Glidden Type-Writer」は、ビジネスレターにすら使うことができません。大文字だけしか必要としない分野なんて、モールス符号の受信ぐらいしかないのですが、しかし、ウェスタン・ユニオン・テレグラフ社でのタイプライター導入も、あまり順調とは言えない状態でした。いくらポーターが実演してみせても、それまでの手書きに慣れた電信士たちは、タイプライターによるモールス受信になかなか移行しなかったのです。「Sholes & Glidden Type-Writer」の新たな売り上げには、つながらなかったのです。

ローデブッシュは、ハノーバー通りにあったタイプライターのショールームを閉じて、すぐ近くのパール通りで、金塊ビジネスに手を染めていました。デンスモアとしては、ニューヨークに新たなショールームを立ち上げたかったのですが、ショールームを開設する費用も、そこに飾るタイプライターを生産してもらう費用も、もはや手元になかったのです。それどころか、タイプライターの特許権管理にかかる費用すら、事欠く有様でした。

そんなデンスモアに、ヨストが、ある提案をおこないました。タイプライターの特許権管理を、株式会社化しようというのです。デンスモアが保有しているタイプライターの特許権を、新たに設立する株式会社に移譲し、その会社の株を売ることで、タイプライターのショールームや、そこに飾るタイプライター、さらには今後販売するタイプライターの製造費用の前金に当てるのです。何ならヨスト自身も、株主の一人として、新たな株式会社に投資しよう、と。確かにそれは、費用負担にあえぐデンスモアにとっても、渡りに舟でした。ただし、その舟の船頭はヨストです。ヨストが、タイプライター特許を自由に使って、新たなビジネスを起業したい、と考えているのは、デンスモアから見ても明らかでした。

ジェームズ・デンスモア(19)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。