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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第23回 『源氏物語絵巻』「関屋」段を読み解く

2014年 4月 26日 土曜日 筆者: 倉田 実

第23回 『源氏物語絵巻』「関屋」段を読み解く

場面:石山詣でする光源氏と上京する空蝉一行とのすれ違い
場所:逢坂の関(おうさかのせき)付近
時節:内大臣光源氏29歳の九月晦日。

(画像はクリックで拡大)

人物:[ア][カ]牛飼 [イ][ウ]立烏帽子狩衣姿の前駆(さき・ぜんく) [エ]随身 [オ]傘持ちの従者 [キ]常陸介一行 [ク][ケ][コ]警護の供人
事物:①・⑤・⑥牛車 ②・⑧胡簶(やなぐい) ③・⑦弓 ④袋に入れた妻折傘 ⑨行縢(むかばき) ⑩荷馬
景色:Ⓐ琵琶湖 Ⓑ打出の浜(うちでのはま) Ⓒ筧(かけい) Ⓓ鳥居 Ⓔ道祖神の祠

「関屋」とは 最初に「関屋」という語について触れておきましょう。「関屋」は、関所に置かれた建物を言う普通名詞ですが、それと同時に「逢坂の関」の建物を指す固有名詞として使用され、関そのものも意味しました。『源氏物語』でも固有名詞の用法になります。

 逢坂の関は平安京から東国に向かう際、近江国に入ってすぐの逢坂山に置かれ、人々の別れと出会いの場になりました。このことは『百人一首』の蝉丸の歌で有名ですね。

これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関
【訳】これがまあ、東国に行く人も京に帰る人も、別れては、知っている人も知らない人も、逢ふという逢坂の関であるよ。

 平安時代は、東国に向かう人を関まで見送る「関送り」をし、出迎える「関迎え」がされました。この歌は、こうした習俗を背景として詠まれています。また、「逢坂」に「逢ふ」意を重ねて、男女の逢瀬にかかわる歌が多く詠まれました。『源氏物語』も、こうしたことを踏まえています。

絵巻の場面 「関屋」の段は現存する『源氏物語絵巻』で唯一の風景描写になっていますが、剥落が多く原画では細部がはっきりしません。しかし、それでも人々や牛車、あるいは関山(逢坂の関付近の山)などがそれとなく分かりますので、読み解いていきましょう。

 この場面は、願果しに石山詣でに出掛ける光源氏一行と、常陸国から上京してきた空蝉一行が、逢坂の関で偶然にすれ違ったことを描いています。画面は、北側から眺めた景色になります。画面右側が京で、やってきたのが光源氏と供人たち、左側が東になり空蝉一行が京を目指しています。空蝉は夫が常陸介として赴任した際に同行し、任期が終わって京に戻るところでした。なお、原画でははっきりしませんが、画面左角がⒶ琵琶湖で、湖岸はⒷ打出の浜になります。

光源氏の一行 まず光源氏一行を見ることにしましょう。光源氏の姿は描かれていませんが、[ア]牛飼のいる①牛車に乗っているようです。騎乗する[イ][ウ]立烏帽子狩衣姿は前駆(行列の先導)の者、②胡簶を背負い、③弓を持つのは[エ]随身です。徒歩の者もいて、[オ]右端の者は④袋に入れた妻折傘を持っています。かなりの人数でやって来ていますね。光源氏が須磨・明石から帰京した翌年になり、内大臣になった威勢の表現にもなっています。


空蝉の一行
 空蝉の姿も描かれていませんが、やはり[カ]牛飼の付く⑤牛車に乗っています。復元画によりますと牛車に女房装束の裾先を出して飾りとする「出衣(いだしぎぬ)」があり、女車になっています。空蝉が乗車していることになります。

 常陸介・空蝉の一行も多人数になっています。物語には、「類ひろく(常陸介の親類が多く)」、「車十ばかり」であったとされています。牛車は⑥もう一両見え、[キ]徒歩の者、 [ク][ケ][コ]騎乗の者が何人も見えます。騎乗の者は⑦弓と⑧胡簶を持っていますので警護役になります。画面左上の[コ]騎乗する者には⑨行縢も認められます。また、打出の浜あたりには⑩荷を積んだ馬が三頭描かれています。これも常陸介一行でしょう。受領として任地で蓄財した富を積んでいると思われます。この地方の富は京に入り、受領たちの任官運動の一環として公卿たちに献上されることになります。光源氏の権勢も、豊かな受領の富が支えていることを暗示しているのかもしれません。

逢坂の関の風物 続いて逢坂の関を暗示するものがあるかどうか確認してみましょう。物語にも「関屋」という語が使用されていますが、画面に関所らしいものは描かれていません。しかし、逢坂の関に付属するものが認められるようです。画面右端を見てください。Ⓒ筧が認められますね。これは当時あった「関の清水」の表現のようです。物語では空蝉が心ひそかに詠んだ独詠歌にこの「清水」が使用されていました。

行くと来とせきとめがたき涙をや絶えぬ清水と人は見るらむ
【訳】逢坂の関から出て行く時も帰って来る時も、堰きとめかねて流すわたしの涙を、絶えず湧き出る関の清水と光源氏の君はご覧になることでしょうか。

 光源氏に靡く心がありながら、厳しく求愛を拒否した空蝉の孤独な心情が象られています。とめどもなく流すわたしの涙を光源氏は理解することもなく、それを関の清水とだけ見ていることでしょうと詠んでいます。その清水が画面右端になると思われます。

 また、Ⓓ鳥居とⒺ祠も描かれています。これを琵琶湖寄りにある「関蝉丸神社」とする説もありますが、位置的に見て国境に置かれた道祖神の祠などでしょう。逢坂の関の存在と少なからず関係しているわけです。

関山の景色 さらに景色を見ましょう。関山の形はどうでしょうか。峰を高く描いた山々が描かれていますね。この山容は実景ではありません。峰を高く描くのは、唐絵(からえ。中国風の絵)に多く認められますので、その様式によっているのです。雄大な山間の景色を描こうとした際に、おのずと唐絵の技法に寄り添ったということでしょう。

 山々には木々などが認められます。物語に「九月晦日なれば、紅葉の色々こきまぜ、霜枯れの草むらむらをかしう見えわたる」(【訳】九月の末なので、紅葉の色がさまざまに交じり、霜枯れの草が濃く薄くあちこちきれいに見渡される)とあるのを描いていることになります。晩秋の関山となります。

 山間には人々が描かれています。ほとんどは上半身ばかりですね。なぜこうした描き方をしているか、お分かりですね。山々の起伏や高低を表し、その間を縫うように続く山道を人々が登り下りしている様子になります。考えられた構図と言えましょう。

画面の趣向 最後に画面の趣向と思われる点を考えておきましょう。『源氏物語絵巻』でありながら、光源氏も空蝉もその姿が描かれていないことです。それは絵師が物語の世界における二人の関係性をきちんと読み解いていたからだと思われます。物語では、光源氏の車は簾を下したまま空蝉の車とすれ違っています。顔を合わせたり、言葉を交わしたりなどはしていません。二人の関係は光源氏十七才の折に遡りますが、空蝉と強引に契りを交わしただけで終わりました。文のやり取りはその後あったものの、二人の関係は秘め事なのでした。逢坂の関で、偶然にすれ違っても、挨拶を交わすことなどできません。物語では、衛門佐(えもんのすけ)になっている空蝉の弟(小君)に、関迎えに来ましたとの伝言を託したとありますが、絵巻には描かれていないようです。秘めた二人の関係だからこそ、その姿を描かないようにしたのだと思われます。なお、空蝉はこの後出家し、光源氏の庇護を受けるようになるのは後年のことになります。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、『源氏物語』の「柏木(一)」を取り上げます。どうぞお楽しみに。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
このたび大改訂した学習用古語辞典のベストセラー『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と、絵解き式のキャプションが採用されています。

 

 

 
2014年 4月 26日