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ジェームズ・デンスモア(26)

2014年 5月 29日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・第133回

1885年5月、アメリカン・ライティング・マシン社は、コリーの生産工場を引き払い、コネティカット州ハートフォードに移転しました。現実には、移転というよりは、アメリカン・ライティング・マシン社の経営権売却に近いものでした。ハートフォード・マシン・スクリュー社やウィード・ソーイング・マシン社を経営するフェアフィールド(George Albert Fairfield)という人物が、アメリカン・ライティング・マシン社を買い取り、ハートフォードに新たな工場を開設したのです。デンスモアやヨスト、あるいはアレンやハーモンは、アメリカン・ライティング・マシン社の経営からは退き、あくまで株主として「Caligraph」の行く末を見守ることになりました。

ハートフォードに移転したアメリカン・ライティング・マシン社(『Scientific American』誌1886年3月6日号)

ハートフォードに移転したアメリカン・ライティング・マシン社(『Scientific American』誌1886年3月6日号)

それでもヨストは、ハートフォードやマサチューセッツ州スプリングフィールドで、自らの名を冠したタイプライターを作ろうとしているようでした。エイモスとエメットはニューヨークに残り、デンスモア・タイプライター社を立ち上げようとしていました。デンスモアもニューヨークに残っていましたが、しかし、ブライト病と呼ばれる腎臓疾患に苦しめられていました。

1889年8月3日、ブルックリンに移り住んでいたデンスモアは、シーマンズの立ち会いのもと、遺言を書いていました。タイプ・ライター社およびデンスモア自身が保有する特許を、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社に譲渡する代わりに、莫大なロイヤリティをシーマンズが約束したからです。これらのロイヤリティを妻のアデラと子供たち、そして弟のエイモスに相続させ、また、アメリカン・ライティング・マシン社などの権利はヨストに、タイプ・ライター社の権利はシーマンズに、それぞれ譲るべく、デンスモアは遺言をのこしました。遺言の執行人には、シーマンズ、義理の息子アーネスト、そしてシカゴのラウンディ(Daniel Curtis Roundy)を指名しました。そして1889年9月16日、デンスモアは、ベッドフォード通り961番地の自宅で息を引き取りました。まさに、波乱万丈と言える69年間でした。

1891年11月、エイモスは「Densmore Typewriter」を発売しました。兄の遺産を元手に、独自のシフト機構を、義理の甥ウォルターと作り上げ、小文字を打てる39キーのタイプライターを発売したのです。デンスモア兄弟の名を冠したそのタイプライターが発売されたのは、しかし、デンスモアの死から2年後のことだったのです。

「Densmore Typewriter」

「Densmore Typewriter」

(ジェームズ・デンスモア終わり)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://slashdot.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。

2014年 5月 29日