タイプライターに魅せられた男たち・第141回

フランツ・クサファー・ワーグナー(8)

筆者:
2014年7月24日

この頃になると、20歳を過ぎた息子のハーマンが、ワーグナーの仕事を手伝い始めました。父親の仕事ぶりをずっと見てきたせいか、ハーマンは勘のいい機械工で、特にタイプライターの設計に才能を見せました。ハーマンの最初の特許(U.S. Patent No. 497560)は、さすがに実用化困難なものでしたが、次の特許(U.S. Patent No. 523698)は、活字のついたアームを半円状に並べ、それをプラテンの前面に打つというアイデアで、ビジブル・タイプライターとして実現可能性の高いものでした。ワーグナーは、ハーマンのタイプライター特許を、ニュージャージー州モントクレアのワトキンス(William E. Watkins)という人物に売却しました。

そうしたところ、このタイプライターを1台作ってほしい、との注文が、アンダーウッド(John Thomas Underwood)という人物から、ワーグナーの工房に舞い込みました。アンダーウッドは、マンハッタンのビージー通りでタイプライター商を営んでおり、タイプライター・リボンを全米に売りさばいていました。顧客のワトキンスから、ハーマンのタイプライター特許の一部を譲り受けたアンダーウッドは、このビジブル・タイプライターを、ワーグナー親子に作ってみせてほしいと、もちかけたのです。ワトキンスに売却してしまったはずの特許で、ワーグナー親子自身がタイプライターを作ってみせる、というのも妙な話だったのですが、ワーグナーは、この話を引き受けました。

実は、ユニオン・タイプライター社の設立(1893年3月30日)以後、アンダーウッドの商売は徐々に傾いていました。ユニオン・タイプライター社傘下の5社(「Remington」「Caligraph」「Densmore」「Yost」「Smith Premier」)は、「純正品」以外のタイプライター・リボンを市場から排除すべく、代理店の締め付けをおこなっていました。その結果、アンダーウッドのタイプライター・リボンを取り扱う代理店が、どんどん減っていたからです。ユニオン・タイプライター社傘下の連中に一泡吹かせたい、そのためには、ユニオン・タイプライター社の息のかからないタイプライターを作り、それを売っていくことが唯一の道だ、とアンダーウッドは考えているようでした。そのためにアンダーウッドは、いくつかの工房に、新しいタイプライターの製作をもちかけていたのです。

果たせるかな、ワーグナー親子が製作したビジブル・タイプライターは、ユニオン・タイプライター社傘下の5社には、とても真似できないようなものでした。そこで、アンダーウッドは、ワーグナー親子に提案します。よければ、このビジブル・タイプライターを「Underwood Typewriter」と名づけて、全米に売りまくっていかないか、と。

フランツ・クサファー・ワーグナー(9)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。