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談話研究室にようこそ 第79回 笑いの婉曲法

2014年 7月 31日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第79回 笑いの婉曲法

(仕事がたまりすぎて,連載を少しお休みしてしまいました。またせっせと書きますので,どうかよろしくお願いします。)

 婉曲法に関するこれまでの話をおさらいすると,次のようになります。婉曲法には3種類の比喩――見立て・すり替え・ぼかし――がよく使われますが,見立てはトピックによって使われ方に偏りが生じます。死を婉曲する表現には,「あの世へ行く」「他界する」「永眠する」のように,見立てがよく用いられるのに対し,排泄と性に関する(まじめな)婉曲法では見立ては避けられます。

 誰もが経験したことのない不可解な死とは違い,性や排泄という具体的な肉体の行為は,わざわざほかのものになぞらえて理解する必要がありません。逆に,性交や排泄行為をほかのものに見立てると,避けたいイメージをかえって喚起してしまいます。上品に事なかれを目指す(まじめな)婉曲の意図からは外れるのです。

 しかし,婉曲の意図は上品な事なかれだけではないようです。V. フロムキンらが挙げる婉曲表現の例はその点でとても示唆的です(V. フロムキンほか『フロムキンの言語学』BNN, 2006年)。(105)は男子小用を,(106)は性交を表すオーストラリアの俗語的な慣用表現です。

(105)
a. drain the dragon(竜から放水する)
b. siphon the python(ニシキヘビを空にする)
c. water the horse(馬に水をやる)
d. squeeze the lemon(レモンを搾る)
e. drain the spuds((ゆでた)ジャガイモの水気を切る)
f. wring the rattle snake(ガラガラヘビを絞る)
g. shake hands with the wife’s best friend(女房の親友と握手する)
h. point Percy at the porcelain(パーシーを磁器に向ける)
i. train Terence on the terracotta(素焼き陶器でテレンスを鍛える)

(フロムキンほか上掲書p. 461;訳文を一部変更)

(106)
a. shag(弾むように踊る)
b. root(植え付ける)
c. crack a fat(脂肪を割る)
d. dip the wick(芯を浸す)
e. play hospital(病院ごっこをする)
f. hide the ferret(フェレットを隠す)
g. play cars and garages(車庫入れごっこをする)
h. hide the egg roll/sausage/salami(春巻き/ソーセージ/サラミを隠す)
i. boil bangers(ソーセージをゆでる)
j. slip a length(長いものを滑り込ませる)
k. go off like a beltfed motor(ベルト駆動のモーターのように暴発する)
l. go like a rat up a rhododendron(ネズミのようにシャクナゲをかけ登る)
m. go like a rat up a drainpipe(ネズミのように排水パイプを登る)
n. have gin on the rocks(ジンをロックで飲む)
o. have a northwest cocktail(北西部のカクテルを飲む)

(フロムキンほか上掲書pp. 461-462;訳文を一部変更)

 セックスや性器,そして排泄行為の言い換えに対する英語話者の執念にはすさまじいものがあります。そういう表現を列挙する辞書もありますが,その数はすぐに100や200に到達します。数のうえでもバリエーションのうえでも,日本語の類似表現をはるかに凌駕しているようです。

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 さて,上記の表現は,排泄や性交のことをそのものズバリ言い表さない点では,婉曲的であると言っていいでしょう。しかし,これまでに見てきたまじめな婉曲表現とは,明らかに性格を異にします。

 (105)は,言及がためらわれる身体部位をthe python(ニシキヘビ)やthe rattle snake(ガラガラヘビ),またはthe wife’s best friendなどに見立てます。(106)では,同じ身体部位がthe wick(芯)やthe ferret(フェレット)になぞらえられ,当該の行為全体がplay cars and garages(車庫入れごっこをする)というふうに表現されます。直喩を用いるもの(go like a rat up a drainpipe(ネズミのように排水パイプを登る))まであります。

 また,siphon the python(ニシキヘビから絞り出す)やpoint Percy at the porcelain(パーシーを磁器に向ける)のように脚韻や頭韻を踏んだ遊戯性の強い表現も散見されます。

 これらの表現はとても目立ちます。そして,表現のそこここに笑いが感じられます。それとなく,そして目立つことなく,上品に事を済ませる(まじめな)婉曲法とは対照的です。では,まじめな婉曲法と笑いの婉曲法はどのような関係にあるのでしょうか。すでに紙数を超過していますので,そのお話は次回以降に。

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【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

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【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

2014年 7月 31日