日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第69回 信牌について

筆者:
2014年9月21日

日露両国の国家としての交渉史の始まりとして,司馬遼太郎は,ロシア皇帝の使節ニコライ・ペトローヴィチ・レザノフの来航を挙げている。

 レザノフは,
「信牌(しんぱい)
 というものを持ってきている。
 わずか十二年前に,シベリア総督の使節アダム・ラスクマンが箱館にきたとき,時の老中松平定信は公使級の人物(目付石川忠房ほか)を箱館に派遣し,ラスクマンの当面の要望はしりぞけつつも,態度はあくまでやわらかく,
 ――ぜひとも通商をしたいというのなら,こんどは長崎に来よ。それについては信牌(長崎港の入港許可証)をあたえる。
 としてそれをわたし,アダム・ラスクマンをよろこばせた。
 このたびレザノフが長崎に来航したのは,その信牌があったからである。

[司馬遼太郎1982『菜の花の沖』五,文春文庫,p. 191.]

だが,日本側はレザノフが持参した国書も贈り物も受け取らず,レザノフから信牌を取り上げてしまった,レザノフは長崎港内で半年も待たされたあげく,要領を得ない応接ののち追い返されるようにして去った,とある。

これでは「信牌」の意味がないではないか。いったい「信牌」とは何だったのか。司馬遼太郎は次のように記している。

 信牌などというものは幕府の慣習には,もともとない。そういう日本語すら,それ以前になく,それ以後にもない。松平定信が,アダム・ラスクマンに与えたきりで,実体もろとも言葉も消えた。
 つまりは松平定信という人物の高度な政治判断の所産であった。

[司馬遼太郎1982『菜の花の沖』五,文春文庫,p. 191.]

げにおそろしきは老中定延,いや定信。命を受けた使節がラスクマンの面前で,しかつめらしく眉をゆがみ踊らせ,鼻うごめかして「シンパイを,さずけるものである」なんてオゴソカに言い渡すところが目に浮かぶではないか。

え,シンパイ? 何それ? ラスクマンの目が泳いで,渡された書状にたどり着く。「信じる」の「信」に,「位牌」「紙牌」の「牌」ですな,どうも通行手形のようなもののようです,と傍らの通訳がささやく。

あ,そうなの? そっか。そうなんだ。シンパイっていう,なんかそういうのがこの国にはちゃんとあるんだ。やだもう,オレいきなり長崎のシンパイもらっちゃったよ。

――みたいにラスクマンが喜んだというのは,もう定信の計略にスックリはまっているのである。

この状況で「あなた達がですね,今度,長崎港に来られたらですね,その時は,入れてあげましょう。そのこと,一筆書いときましたから」などと言われても,その「一筆」がどの程度効くのかという疑念は晴れなかっただろう。ラスクマンはすんなり帰らず,そこで一悶着あったかもしれない。そうならなかったのは、少なくとも部分的には、定信が「シンパイ」という語をでっち上げたおかげである。シンパイにかぎらず、語には「なんかそういうのがこの国にはちゃんとあるんだ」と思わせる力がある。

あ,申し遅れました。長々と「表現キャラクタ」について補足してきたもんで(補遺第35回第68回),ここらで目先を変えて、『坊っちゃん』『お嬢様』のような「キャラクタのラベル」の補足をしようと思って,その準備をやってます。悪しからず。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。