タイプライターに魅せられた男たち・第149回

山下芳太郎(4)

筆者:
2014年9月25日

ヴィクトリア女王在位60周年記念パレードのその日が、どんどん近づいているにもかかわらず、西園寺はロンドンに現れませんでした。その代わりに、西園寺の弟、住友吉左衛門友純が、6月20日の夜遅く、ロンドンに到着しました。西園寺と住友は、一緒にパリを出発してロンドンに来る予定だったのですが、西園寺がパリで盲腸炎を発症、切らずに散らす(開腹手術はおこなわずに自然治癒を待つ)ことにしたため、西園寺をパリに残し、住友だけがドーバー海峡を渡ってきたのです。

1897年6月22日、60発の祝砲を合図に、ヴィクトリア女王在位60周年記念パレードがおこなわれました。海軍の銃部隊を先頭に、軍楽隊、騎砲兵隊、竜騎兵隊、重騎兵隊、槍騎兵隊、補佐官、州総督、議員、州長官、王家の子供たちを載せた幌馬車、市長、インド軍に護られた国内・国外の王子、司令長官、エドワード皇太子(Prince Albert Edward VII, Prince of Wales)とコノート公アーサー(Prince Arthur William Patrick Albert, Duke of Connaught)、ヴィクトリア女王を載せた馬車、ケンブリッジ公ジョージ(Prince George William Frederick Charles, Duke of Cambridge)、そして、アイルランド・ウェールズ・カナダ・サウスウェールズ・ヴィクトリア(オーストラリア)・クイーンズランド(オーストラリア)・南オーストラリア・喜望峰・ナタール(南アフリカ)・トリニダード諸島・キプロス・マルタ・西オーストラリア・ボルネオ・ジャマイカ・シエラレオネ・黄金海岸(ガーナ)・英領ギアナ・セイロン(スリランカ)・マレー半島・香港の騎兵隊やライフル隊が延々と続き、非常に長大なパレードでした。パレードの先頭がバッキンガム宮殿を出発したのは8時45分、女王がバッキンガム宮殿を出発したのは11時15分、女王が戻ってきたのは12時半のことでした。有栖川宮も日本の王子として、騎馬でパレードに参加しました。

在位60周年記念パレードのヴィクトリア女王(1897年6月22日)

在位60周年記念パレードのヴィクトリア女王(1897年6月22日)

行列の何ヶ所にも配置された軍楽隊が『God Save the Queen』を演奏し続けるなか、ヴィクトリア女王と大英帝国の栄華を世界に示すべく、全ての植民地の軍隊を引き連れる形でおこなわれたこのパレードを、山下や住友は、セント・ポール大聖堂に近い建物の階上から観覧しました。ヴィクトリア女王を載せた馬車が差し掛かるとともに、セント・ポール大聖堂では、祝祭の鐘が派手に鳴らされ、500人のコーラスが讃美歌を唄い、60年も続いたヴィクトリア女王の治世を祝いました。パレードの長大な行列が、セント・ポール大聖堂を通過し終えたのは、午後1時半も過ぎた頃のことでした。

山下芳太郎(5)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。