絵巻で見る 平安時代の暮らし

第33回 『源氏物語』「橋姫」段の「大君・中君姉妹をのぞき見る薫」を読み解く

筆者:
2015年1月24日

場面:大君と中君の姉妹が琴の合奏をしていたのを薫がのぞき見をするところ
場所:八宮邸の寝殿東面とその前庭
時節:薫22歳の晩秋九月二十日以降の夜

人物:[ア] 冠直衣姿の薫 [イ]袿姿の大君(父・八宮、母・故北の方)、24歳 [ウ]袿姿の中君、22歳 [エ]袿姿の女童 [オ]袿姿の女房
室内等:①・⑮・⑰ 蝙蝠扇 ②当腰(あてごし。当帯とも) ③琵琶 ④箏 ⑤・柱 ⑥廂 ⑦下長押 ⑧簀子 ⑨撥(ばち) ⑩柄 ⑪撥面 ⑫覆手(ふくしゅ) ⑬琴柱(ことじ) ⑭竜角(りゅうかく) ⑯高麗縁の畳 ⑱巻き上げた簾 ⑲竹の線 ⑳几帳 几帳の手 楝緂(おうちだん)模様の野筋
庭先:Ⓐ月 Ⓑ霞 Ⓒ蔦の紅葉 Ⓓ羅文 Ⓔ透垣(すいがい) Ⓕ遣戸 Ⓖ霧

絵巻の場面と時間 この場面は、八宮が不在の折に、宇治に訪ねて来た[ア]薫が、[イ]大君と[ウ]中君の琴の合奏を耳にして、のぞき見するところを描いています。前回と同じく、最初に画面の時間を確認しましょう。画面の右上にはⒶ月が出ていて、Ⓑ霞が深く垂れ込めています。この霞は、「やり霞」ともいい、夕方以降の夜の時間を示す絵巻の技法でしたね。ここは、下記に引用する本文の前に、薫は、「有明の月」が夜の深い時分に出た頃に京を出発したとありますので、宇治では午前一時くらいになるでしょうか。「有明の月」は夜明けにも出ている月のことで、月の出が夜遅くでしたので、二十日以降のことになります。

『源氏物語』の本文 次にこの場面に相当する物語本文を確認しておきましょう。

あなたに通ふべかめる透垣の戸を、少し押し開けて見たまへば、月をかしきほどに霧りわたれるをながめて、簾を低く巻き上げて人々ゐたり。簀子に、いと寒げに、身細く萎えばめる童一人、同じさまなる大人などゐたり。内なる人、一人は柱に少しゐ隠れて、琵琶を前に置きて、撥を手まさぐりにしつつゐたるに、雲隠れたりつる月のにはかにいと明かくさし出でたれば、「扇ならで、これしても月は招きつべかりけり」とて、さしのぞきたる顔、いみじくらうたげににほひやかなるべし。添ひ臥したる人は、琴の上にかたぶきかかりて、「入る日をかへす撥こそありけれ、さま異にも思ひおよびたまふ御心かな」とて、うち笑ひたるけはひ、いま少し重りかによしづきたり。
【訳】 姉妹の部屋に通じているらしい透垣の戸を、薫が少し押し開けてご覧になると、月の風情ある頃あいに霧が一面に立ち込めているのを眺めて、簾を高く巻き上げて女房たちが坐っている。簀子に、ひどく寒そうに、ほっそりと糊気の落ちた衣装の女童が一人、同じ姿の年かさの女房などが坐っている。廂の内側の人は、一人は柱に少し隠れて坐り、琵琶を前に置いて、撥を手でもてあそびながら坐っていたところに、雲に隠れていた月が急にとても明るくさし出てきたので、「扇でなくて、これを使っても月は招くことができましたよ」と言って、月をさしのぞいている顔は、とても愛らしくつややかなようである。寄り添ってうつぶせになっている人は、琴の上に前かがみになって、「入り日を招き返す撥の話はありましたが、風変わりにも思いつきなさるお心ですね」と言って、にっこり笑っている感じは、もう少し落ち着いていて優雅な風情である。

絵柄は、以上のような本文によっていますので、具体的に見て行くことにしましょう。

薫の様子 まず薫の様子です。Ⓒ蔦の紅葉がまとわり、Ⓓ羅文のついたⒺ透垣(竹などで間を透かせて作る垣)のⒻ遣戸を押し開け、右手に①蝙蝠扇を持って、中をのぞいています。この位置関係では、中から気づかれてしまいますね。本来は、画面左下あたりから、斜めに見ていたと思われますが、のぞき見の場面にする為にこのような構図にしたのでしょう。ただ、Ⓖ霧が薫にも漂っていますので、それに紛れていると考えたのかもしれません。また、冠直衣姿で描かれていますが、物語本文では狩衣姿でした。当初狩衣であったのが、直衣に直されたと見られています。腰のあたりに帯が見えますが、これは狩衣系装束に使用される②当腰のようです。この他の線と共に、剥落したために下絵が露出したものと考えられるのです。薫を直衣姿にして、この場面に格調を与えようとしたのでしょう。

姉妹はどちらか 四絃の③琵琶と、十三絃の④箏を前にした、薫の見ている姉妹は、それぞれどちらでしょうか。現在では、琵琶が中君、箏が大君とされていますが、その逆とする見解が古来よりあります。詳しいことは省略せざるを得ませんが、父八宮は姉に琵琶、妹に箏を教えたとされていましたので、この場面でもそうだと考えられたのです。しかし、物語や詞書(改変されていますが、ここでは触れません)で示された姉妹の容貌や性格などからすると、特に「いま少し重りかに」は大君にふさわしいことになります。ここでは、現在の通説通り、琵琶を前にするのが中君としておきます。

姉妹の様子 それでは詳しく姉妹を見ていきましょう。二人とも立派な袿姿で描かれています。薫が直衣姿に描かれたのと照応させて、優雅な雰囲気にしているのでしょう。

[ウ]中君は、本文の通りに⑤柱に隠れていて、衣装は⑥廂から⑦下長押をまたいで⑧簀子にかけて大きく描かれています。この場面の主役のようですね。右手に持つ⑨撥は、月が雲間に出たので、それで招き寄せたことを示しています。③琵琶は丁寧に描かれていて、⑩折れ曲がった柄の頭部、⑪撥が当たる面、絃の下端を止める⑫覆手などが見えます。

[イ]大君は、④箏に前かがみの姿勢で、ほほ笑んでいるかのようです。衣装はⒷ霞に隠されていて、控え目に描かれています。右手は絃を押さえていて、箏は爪を着けて演奏することもありますが、そこまでは分かりません。しかし、絃を支える⑬琴柱、絃を置く⑭竜角などが見えます。また、⑮蝙蝠扇が開かれて⑯高麗縁の畳の上に置かれています。

女童と女房 ⑧簀子に坐るのは、[エ]女童と[オ]女房です。二人は中君の方に向いています。大君が中君の言い方にほほ笑んだように、この二人もそれに興じているのでしょう。衣装は二人とも萎えたものを着ているとされていますが、画面ではそんな感じはしません。女童も⑰蝙蝠扇を持っていて、画面には本文にはない扇が三つも描かれています。扇は人を招くものでもありますので、中君が撥で月を招いていることと関わりがあるのかもしれません。

簾と几帳 続いて、簾と几帳を見ておきましょう。柱間に見える⑱簾は巻き上げられていて、本文では「簾を低く巻き上げて」とされていました。これは簾を主体にして、巻き上げた部分が低いことを言いますので、高く巻き上げたことになります。この簾には窠文(かもん)などが見られず、「御簾」とはされていませんので、当時は粗末とされた伊予簾にしているのでしょう。高欄のない簀子と共に、山荘の感じにしていると思われます。

この簾の右側は、下されていたのが巻上げた形に描き直されたようです。剥落したために、⑲竹の線が浮いて見えています。巻き上げたのは、中君を強調するためでしょう。

⑳几帳は、丘が描かれていて、その手が柱に直角に置かれていますので、廂を区切る用を果たしています。野筋は、色を交互に配した楝緂になっています。

画面の構図 最後に画面の構図を確認しましょう。絵巻は右側から見るものでしたので、薫の視線から捉えられた光景を描くために、斜めの構図にしています。また、そのために薫を姉妹の正面に描いたことになります。姉妹は、中君の方が大きく描かれたのは、何らかの意味があると考えられます。物語では、こののぞき見の時点で、薫は姉妹を見分けていません。そうしますと、琵琶の女性を大君として描いたとすれば、これから展開する薫との物語を暗示していることになります。また、中君とすれば、匂宮と結婚し、若君を出産して大切にされることを先取りしているのかもしれません。いずれにしても恋物語の始まりを示唆する印象的なのぞき見の構図と言えましょう。なお、幾つか触れてきましたように、この段は最も描き直しが多いとされています。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、絵巻の画面も春の二月六日、匂宮の妻となっていた中君が、宇治から京に移る支度をしている場面「早蕨」を取り上げます。お楽しみに。

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