タイプライターに魅せられた男たち・第167回

山下芳太郎(22)

筆者:
2015年2月5日

その一方で、別子銅山と四阪島製錬所の問題は、山下の頭を常に悩ませていました。別子銅山の鉱毒水については、煉瓦造りの坑水路と、東平・黒石・山根の3収銅所を建設することで、何とか被害を抑えることができました。しかし、四阪島製錬所の排煙は、新居浜から今治までの広い範囲に、亜硫酸ガスを垂れ流していたのです。1910年11月までに住友と鈴木は、新居浜~東予~今治の沿岸住民に対し、補償金を支払うとともに、今後は四阪島製錬所の増産をおこなわない、と約束していました。増産をおこなわなければ、増大する銅線の需要に応えられず、結果として、海外から銅の輸入を増やさざるを得ないのです。山下にとっても、四阪島製錬所の煙害は、死活問題となっていました。

山下は小倉正恒とともに、四阪島製錬所の煙害問題の解決に取り組むことになりました。亜硫酸ガスが問題となっている以上、排煙から亜硫酸ガスを分離できればいいのです。海外の技術を調査してみたところ、イギリスでは、グローバー(John Glover)が考案した塔式硫酸分離法が多く用いられていました。亜硫酸ガス[SO2]から硫酸[H2SO4]が分離できれば、さらに燐灰石[主成分はCa3(PO4)2]と反応させることで、肥料である過燐酸石灰[Ca(H2PO4)2 + 2CaSO4]が得られます。亜硫酸ガスによる煙害を解決できる上に、肥料まで得られるのですから一石二鳥です。ただ、グローバー法は、硫酸の分離率が必ずしも高くなく、どうしても、排煙に亜硫酸ガスが残留してしまいます。しかも、反応に鉛室を使うため、分離した硫酸に有害な鉛が含まれます。硫酸の濃度を高くして、亜硫酸ガスの濃度を低くし、さらには、硫酸に含まれる鉛の量を少なくできるかどうか、これが、煙害問題の解決と、肥料の製造における鍵になりそうでした。

山下らの報告を受けて、鈴木は1913年9月、新居浜に肥料製造所を開設しました。肥料製造所という名称ではあるものの、基本的には化学実験施設で、亜硫酸ガスの濃度を下げる研究や、塔式硫酸分離法における硫酸の純度を上げる研究も、肥料製造の研究と同時におこなうものでした。また、肥料製造所の開設に加え、四阪島製錬所の煙突を6本に分け、送風機で亜硫酸ガスを拡散することで、濃度を下げる試みもおこなわれました。ただし、この6本煙突は、現実には、沿岸地域の亜硫酸ガス被害を軽減できなかったばかりか、四阪島内部での亜硫酸ガス濃度を上げる結果となってしまい、2年半ほどで稼働を取りやめてしまいました。

四阪島製錬所の6本煙突(1914年撮影)

四阪島製錬所の6本煙突(1914年撮影)

山下芳太郎(23)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。