地域語の経済と社会 ―方言みやげ・グッズとその周辺―

第321回 田中宣廣さん: 『めんこい』『わらす』に託す方言標語

筆者:
2015年2月7日

今回は岩手県で「子ども」に意図を託した方言看板・ポスター類の用例を2例紹介します[注1]。一つは,遠野(とおの)市の綾織(あやおり)交差点[注2]南東側角の回転式[注3]交通標語です。「我が町の めんこい子らを ひくでねぇ」〔我が町のかわいい子どもたちをひくでない〕です【写真1】。「めんこい」は,かわいいの意味の有名な東北方言ですね。この「めんこい」に安全運転の願いを託しています。続く部分も「ひくでねえ」で,「めんこい」だけでなく,全体を言語実態に忠実に示して方言標語の効果を高めています[注4]

【写真1】遠野市綾織交差点の「めんこい子らをひくでねえ」(クリックで全体)
【写真1】遠野市綾織交差点の
「めんこい子らをひくでねえ」
【写真2】大船渡市の「わらしァど見でっぞ」(クリックで全体)
【写真2】大船渡市の「わらしァど見でっぞ」

もう一つは,大船渡(おおふなと)市の環境美化標語「やめろ!! ゴミ投げんのは わらしァど見でっぞ」〔やめろ。ゴミを捨てるのは。子どもたちが見ているぞ〕です【写真2】。「投げる」は,捨てるの意味の東北方言です。投擲の意味ではありません。「わらしァど」は,やはり有名な東北方言の子どもを表す「ワラス」と複数を表す「-アド」で「子どもたち」です。実際の発音は[ワラシャド]です。続く「見でっぞ」も方言の発音で示して[注5]効果を確かなものにしています。

この2用例は,大人に子どもの存在を意識させて行動を律するのが目的で,そこに方言を活用して効果を高めています。また,「めんこい」も「わらす」も年配者だけに残る『昔懐かしい方言』ではありません。現在小学生や幼稚園児を持つ若い世代でも勢力を保ち,子どもたちもよく聞いて知っています。これらの標語は(たとえば運転する)大人だけでなく,一緒にいる子どもたちも理解します。標語に反する行動をとろうとすれば,子どもたちからも戒めの言葉や冷たい視線が来るでしょう。この標語は言葉と現実の子どもの両方からの訴えの2倍の効果も期待できます。これら標語の寿命は,この先も続きます。

 * 

[注1]子ども関係の用例は,第216回「子ども向けの方言の拡張活用」で紹介しています。

[注2]太平洋沿岸の釜石(かまいし)市と内陸部の花巻(はなまき)市を結ぶ国道283号線と,岩手県庁所在地の盛岡(もりおか)市から花巻市大迫(おおはさま)地区を経て遠野に至る国道396号線が合流する交差点です。ここは文化の交流点と言われ,各地の人や物が交わる遠野郷の西側の入り口です。岩手県の方言研究では重要な場所です。

[注3]ドラム缶を三つ縦につないで”羽根”を付け,風車式に回転します。近く(約1km東方)の道の駅が「遠野風の丘」(第266回「こびる」で用例等を紹介)の名のように,風の強いところです。羽根を境の赤,青,黄の3面に交通標語が示されています。方言標語はこの青の面のものだけです。

[注4]連続2母音の融合(ない→ねぇ)を表現しています。

[注5]語中タ行音の濁音化(て→で)と有声促音(見テルゾのルが促音化してもゾは濁音のままで,濁音の直前に促音があります)です。

筆者プロフィール

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics

井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。

(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

 

  • 田中 宣廣(たなか・のぶひろ)

岩手県立大学 宮古短期大学部 図書館長 教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。

『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』

編集部から

皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。

方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。