タイプライターに魅せられた男たち・第170回

山下芳太郎(25)

筆者:
2015年2月26日

カタカナ活字の改良は、しかし、そう簡単なものではありませんでした。この頃、山下が試作した活字は、カタカナの「ニ」と漢数字の「二」を見分けることができるよう、カタカナの「ニ」のデザインを変更しており、それがかえって視認性を悪くしていました。また、「イ」「ト」「ノ」などの活字幅を細く造ることで、いわゆるプロポーショナルフォントに近いものを目指しているのですが、そうすると欧文に近い組版を必要とするため、今度は印刷屋を困らせる結果となっていました。読みやすいカタカナ活字というものが、いかに難しいものなのか、山下は身をもって知ることになったのです。

山下が試作したカタカナ活字の印字見本(1916年6月)

山下が試作したカタカナ活字の印字見本(1916年6月)

1916年6月24日、山下は大阪府庁にいました。およそ5年越しで進めてきた安治川と正蓮寺川の整備計画が、地元の地権者の合意も得られ、府からの認可もほぼ筋道がついたことから、正式な計画書を府庁に提出することになったのです。着工から完成までに10年を要する一大プロジェクトで、その費用は全て住友と地権者が負担する、という途方もない計画でした。しかも、完成後の防波堤は大阪府と大阪市の管理下におかれ、さらには新たにできる埋立地も、完成後は府と市の官有地とした上で、それを住友が借り受ける形になるという、かなり厳しい条件のプロジェクトでした。それでも、安治川北岸地域の再開発を睨んだ上で、どんな条件であっても、このプロジェクトを完遂すべきだと山下は考えていました。

その一方で山下は、住友建築部の平尾善治に、新たなカタカナ活字のデザイン設計を依頼していました。山下自身がデザインするより、京都高等工芸学校で正式にデザインを学んだ平尾に、カタカナ活字をデザインしてもらおうと考えたのです。山下のアイデアのうち、各カタカナの「上列」を揃えるという点は、平尾も賛成しました。たとえば「アラク」と並べた時に、上に来る横線を一直線に揃える方が、まとまって見えるのは確かです。しかし平尾は、山下の主張する「幅狭き字体」には、全く賛成しませんでした。日本人の眼に慣れているのはほぼ正方形のデザインであって、縦長のカタカナは読みにくい、と言うのです。その意味では、プロポーショナルフォントなどもっての外で、小書きのャュョッですら、ヤユヨツと同じ幅に設計すべきだろう、というのが平尾の考えでした。また、視認性を高めるには、カタカナの縦画や斜画を、普通より太くしなければならないだろう、というのが平尾の予想でした。実際、ローマ字の活字は、たいてい、縦画を太くする形でデザインされていたからです。

山下芳太郎(26)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。