絵巻で見る 平安時代の暮らし

第36回 『源氏物語』「宿木(三)」段の「琵琶を弾く匂宮と中君」を読み解く

筆者:
2015年4月18日

場面:匂宮が琵琶を弾いて中君に聞かせるところ
場所:二条院の西の対
時節:薫25歳の晩秋

人物:[ア]烏帽子直衣姿の匂宮(父・今上帝、母・明石中宮、光源氏の孫)、26歳 [イ]袿姿の中君(父・八宮、母・故北の方、匂宮の妻)、25歳
室内:①琵琶 ②・⑳御簾 ③直衣 ④切袴(きりばかま) ⑤絃 ⑥撥面(ばちめん) ⑦几帳の足 ⑧野筋 ⑨几帳 ⑩脇息 ⑪蝙蝠扇(かわほりおうぎ) ⑫高欄 ⑬簀子 ⑭妻戸の御簾 ⑮妻戸 ⑯高麗縁 ⑰引き違え式の障子 ⑱敷居 ⑲押障子 上長押 下長押 帽額 
前庭:㋐萩 ㋑藤袴 ㋒薄 ㋓砌(みぎり)

絵巻の場面 前回に続く「宿木(二)」段は、本シリーズ第3回ですでに扱っていますので、今回は「宿木(三)」段になります。この場面は、[ア]匂宮が①琵琶を弾いて、[イ]中君に聞かせているところです。ちょうど薫から中君への文があったところで、匂宮はまだ二人の仲を疑っています。これ以前、中君を訪問した際の薫の残り香によって、匂宮は二人の間に何かあると察していました。しかし、匂宮はその疑いによって逆に中君への思いを深めています。匂宮自身は右大臣夕霧の娘、六の君とも結婚していますので、中君が不安な気持ちでいることを理解しています。匂宮の中君への疑いと愛情、中君の匂宮への不安と寄り添う気持ち、このあたりが絵巻を読み解く鍵になるようです。

『源氏物語』の本文 それでは、この場面に相当する物語本文を確認しておきましょう。

 (匂宮)穂に出でぬ物思ふらし篠薄招く袂の露繁くして
 なつかしきほどの御衣どもに、直衣ばかり着たまひて、琵琶を弾きゐたまへり。黄鐘調の掻き合はせを、いとあはれに弾きなしたまへば、女君も心に入りたまへることにて、もの怨じもえしはてたまはず、小さき御几帳のつまより、脇息に寄りかかりてほのかにさし出でたまへる、いと見まほしくらうたげなり。
 (中君)「秋果つる野辺の景色も篠薄ほのめく風につけてこそ知れ
 わが身一つの」とて涙ぐまるるが、さすがに恥づかしければ、扇を紛らはしておはする心の中も、らうたく推しはからるれど、かかるにこそ人もえ思ひ放たざらめ、と疑はしき方ただならで恨めしきなめり。
【訳】 穂に出ないように、表に現わさないもの思いをしているようですね、露のびっしり置かれた篠薄が手招きするように、袂を涙で濡らして。
 匂宮は、なじむほどに着なれた袿(下着)を重ね、直衣だけをお召しになって、琵琶を弾いておられる。黄鐘調(おうじきちょう)の掻き合わせを、まことにしみじみと弾きこなしなさるので、女君も興味をお持ちのこととて、物怨みもしていられず、小さな几帳の端から、脇息に寄りかかってわずかに顔をのぞかせておられるのは、実にいつまでも見ていたい愛らしさである。
 「秋の果てる野辺の景色も、篠薄がほのめく風につけて知られるように、私を飽きてしまわれたあなたのお心は、そのそぶりで分かります。
 わが身一つがつらいことです」と言ってつい涙ぐんでしまうのが、さすがにきまり悪いので、扇で隠して紛らわせておられる心のうちも、宮はいじらしく推し量りなさるけれど、この愛らしさだからこそ薫も思い諦めきれないのかしら、と疑わしい点はひととおりでなく恨めしいのであろう。

匂宮の中君と薫との仲を疑う気持ちは歌に託され、慰めようとする思いは琵琶弾奏に込められています。また、匂宮の女性関係に対する中君の不安も歌に詠まれ、この一方で琵琶の音色に耳を傾ける様も語られています。絵巻では、琵琶弾奏は一目瞭然ですが、歌に託された二人の心のうちも暗示されているのです。この点から確認していきましょう。

前栽の草花 二人の心のうちは、前栽の草花と、それが風に靡く様で表現されています。植えられているのは、㋐萩・㋑藤袴・㋒薄(尾花。篠薄は歌語)などの秋草で、それが風に靡いています。薄などが靡く様は人を招く所作に例えられますので、男女関係の存在を示唆します。匂宮の心のうちにあった疑いになりますね。また、草木を靡かせる秋風は、「飽き」と掛けられますので、中君が匂宮に飽きられたとする不安を意味します。秋風は、②御簾も揺らしていますので、歌に込められた二人の間のわだかまりを暗示させていると言えましょう。草木の靡きや風のゆらぎに意味があるのです。なお、建物に沿って地面に見えるのは、軒先からの雨垂れを受ける㋓砌(溝)になります。

琵琶を弾く匂宮 続いて、[ア]匂宮の様子を見てみましょう。③直衣を肩からすべらかし、指貫は着けず、裾括りのない④切袴をはいて、くつろいだ姿でいます。これは愛らしい中君に気を許していることになります。①琵琶を弾いて聞かせるのは愛情表現なのです。この琵琶には⑤四つの絃・⑥撥面などがきちんと描かれています。

琵琶の音を聞く中君 一方の[イ]中君は、本文にある通り、⑦足と⑧野筋が見える⑨几帳の端から、⑩脇息にもたれかかるようにして、琵琶の音を聞こうとしています。⑪蝙蝠扇で顔を隠しているのは恥じらう様で、これは、愛情への不安を歌に詠んでつい涙ぐんでしまったきまり悪さを隠すためでしょう。中君も妻として匂宮に寄り添おうとしていることになります。中君は懐妊中で、この後男宮を出産し、匂宮や人々から重んじられるようになることを見とおしているのかもしれません。

室内 次に建物を確認しましょう。ここは、紫上から譲られた匂宮の二条院の、中君の居室となる西の対です。⑫高欄の付いた⑬簀子が廻っています。匂宮の背後に⑭「妻戸の御簾」が垂れ、⑮妻戸が開いているのが見えますので、⑯高麗縁の畳に坐る二人がいる所は南廂の「隅の間(妻戸の間とも)」になります。中君の背後には、⑰引き違え式の障子(襖)があり、⑱敷居が見えて開けられたままになっています。これは中君の姿を描くためでしょう。この障子の上部には、嵌め込み式の⑲押障子が見え、共に大和絵が描かれています。

南廂の⑳御簾は上長押の下に巻き上げられ、その右側の②御簾は下長押まで下されています。御簾どうしは、帽額で分かりますように、互いに接して柱を隠す形になりますので、室外に掛けられる「外御簾」として描かれています。したがって、ここは省略されていますが、一枚格子になります(第17回参照)。そうしますと、同じ二条院の西の対を描いた「御法」段と見比べてください(第30回参照)。ここは内側から描かれていて、御簾どうしは接しておらず、その間に柱が描かれていましたので、これは内御簾でした。同じ建物なのに矛盾していますね。これは絵師の技量の違いによっていることになります。「宿木(三)」のほうが粗雑とも評され、構図の取り方も「御法」段が優っていますが、『源氏物語』では一枚格子が多いようですので、御簾に関しては、「宿木(三)」のほうが正しいことになります。

画面の構図 最後に画面の構図を確認しましょう。画面は左右に分かれ、建物が大きく傾いた構図となっています。この傾斜は安定性を欠き、「飽き」を暗示する秋風のゆらぎとともに、二人の間にある疑いや不安を表象するようです。しかし、二人は対座し、楽の音に耳を澄ますことによって心を通わせようとしています。この画面は、心のうちのわだかまりを乗り越えて、強い絆で結ばれようとする夫婦愛を描いていると言えましょう。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、「東屋(一)」を取り上げます。どうぞご期待ください。

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