日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第85回 Kyarakutaaについて

筆者:
2015年5月10日

伊藤剛氏による「キャラクタ(character)」と「キャラ(Kyara)」の区別(補遺第81回第83回)は、前回取り上げた相原博之氏の『キャラ化するニッポン』(講談社現代新書,2007)以外にも、多くの論考の中に取り込まれている。だが、その取り込みには各論者独特の「ひねり」が加わり、わかりにくくなっていることも少なくない。

たとえば土井隆義氏は著書の中で、タカラトミー製の着せ替え人形玩具「リカちゃん」について次の(1)のように述べておられる。

(1) しかし、平成に入ってからのリカちゃんは、その物語の枠組から徐々に解放され、現在はミニーマウスやポストペットなどの別キャラクターを演じるようにもなっています。自身がキャラクターであるはずのリカちゃんが、まったく別のキャラクターになりきるのです。これは、評論家の伊藤剛さんによる整理にしたがうなら、特定の物語を背後に背負ったキャラクターから、(中略)どんな物語にも転用可能なプロトタイプを示す言葉となったキャラへと、リカちゃんの捉えられ方が変容していることを示しています。(中略)このような現象は、物語の主人公がその枠組に縛られていたキャラクターの時代には想像できなかったことです。

[土井隆義『キャラ化する/される子供たち―排除型社会における新たな人間像』岩波書店,pp. 22-23,2009]

ここではリカちゃんがミニーマウスに「なりきる」と表現されているが、リカちゃんにミニーマウスのような黒いデカい鼻ができたり、リカちゃんの口が顔幅いっぱいに裂けたりしているわけではない。件の商品「リカちゃんミニーマウスだいすき!」を見るかぎりでは、リカちゃんはリカちゃんであって、ただ「ミニーマウスだいすき!」とばかりに、ミニーマウスのコスプレをして遊んでいるに過ぎない。他の物語の登場人物のコスプレをすることを「キャラクターからキャラへの変容」と呼べるとしても、その「キャラ」は本当に伊藤氏が定義された「キャラ」なのか、私には何とも言えない。

著書の中で土井氏の論考を紹介した上で、暮沢剛巳氏は「伊藤の示した図式が、現代社会全般を扱いうるだけの射程を持っていることは確かなようである」と述べておられる(『キャラクター文化入門』NTT出版,2010,pp. 27-28)。伊藤氏の「キャラクタ」「キャラ」の区分を取り込んだ論考の中で、最も目立って見えるのが同書だろう。表紙に添えられた英語INTRODUCTION TO KYARAKUTAA CULTUREは、KYARAKUTAAの部分が大きくなっており、特にKYARAはひときわ大きく、続くKUTAAとは文字色も違えている。伊藤氏のKyaraを基にした新概念Kyarakutaaの提案か、Kyarakutaaはキャラクタ(character)とどう違っているのかなどと思ってしまうが、実際にはKyarakutaaなる概念は出てこない。暮沢氏の考察はヤンキー文化やパチンコにまで及ぶものの、中心となっているのはキャラクタ(物語の登場人物)の歴史的系譜や人気の背景であり、キャラへの言及も限定的なもののように見える。

伊藤氏によるマンガ論上の区別を自身がどのように拡大解釈し、「キャラクタ」「キャラ」を各々どのように定義するのかが明示されていないということが、各論者のせっかくの分析をわかりにくいものにしてしまっていると感じるのは私だけだろうか。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。