絵巻で見る 平安時代の暮らし

第37回 『源氏物語』「東屋(一)」段の「物語絵を見る」を読み解く

筆者:
2015年5月16日

場面:中君のもとで浮舟が物語を楽しむところ
場所:二条院の西の対
時節:薫26歳の八月の夜

人物:[ア]浮舟(父・八宮、母・中将の君、中君の異母妹)、21歳前後 [イ]袿姿の中君(父・八宮、母・故北の方、匂宮の妻)、26歳 [ウ]袿姿の中君の女房 [エ]表着姿の中君の女房(右近) [オ][カ]表着に裳姿の中君の女房
室内:①・④冊子の絵 ②褥(しとね) ③櫛 ⑤巻物 ⑥下書きの灯台跡 ⑦冊子 ⑧裳紐 ⑨裳 ⑩上長押 ⑪・⑳・柱 ⑫帽額 ⑬巻き上げた御簾 ⑭母屋 ⑮西廂 ⑯下長押 ⑰高麗縁の畳 ⑱五幅四尺の美麗几帳 ⑲野筋 開いた障子 障子 敷居 繧繝縁の畳 

絵巻の場面 この場面は、画面左上の物語最後の女主人公[ア]浮舟が①冊子の絵を見ているところが描かれています。最初にこの直前の物語を確認しておきましょう。浮舟は婚約を破棄されたうえに、婚約者が異父妹と結婚することになります。後妻となっていた母は浮舟を哀れに思って、二条院の中君に預けます。しかし、浮舟は、中君が泔(ゆする。洗髪)の最中に訪れた匂宮に見つかり、強引に迫られますが、母明石中宮の急な病気ということで見舞に行くことになり、危うく難を逃れます。それを知った中君が浮舟を慰めようと自分の居室に招きます。親しく言葉を交わして、絵を見せようとしたのがこの場面になります。

『源氏物語』の本文 それでは、この場面に相当する物語本文を確認しておきましょう。

 いと多かる御髪なれば、とみにもえほしやらず、起きゐたまへるも苦し。白き御衣一襲ばかりにておはする、細やかにをかしげなり。(中略)
 絵など取り出でさせて、右近に言葉読ませて見たまふに、向ひてもの恥ぢもえしあへたまはず、心に入れて見たまへる灯影、さらにここと見ゆるところなく、こまかにをかしげなり。
【訳】 中君はまことに豊かな御髪なので、すぐにも乾かしきることもできず、起きてお座わりなさるのも難儀である。白い御衣一襲ばかりを着ておられるお姿は、ほっそりと美しい。(中略)
 絵などを持って来させて、右近に文章を読ませてご覧になると、浮舟は絵に向かって、恥じらってはおられずに、熱心に見入っておいでになる灯影のお姿は、さらにここがと見える欠点もなく、こまやかに美しい。

引用前半は中君、後半は浮舟の様子ですので、それぞれを見ていきましょう。

髪を梳かせる中君 髪を梳かせている後姿が[イ]中君です。洗髪が終わったばかりですので白の袿を着ただけの姿になっていて、髪はまだ乾ききっていません。豊かな髪の裾が置かれているのは、袴ではなく、汚れを防ぐための②褥(敷物)でしょう。その上に髪はきちんと置かれています。当時の長い髪の洗髪は一日がかりでした。風呂場はありませんでしたので、湯殿(ゆどの)を設えて、髪は泔と呼ぶ米のとぎ汁などで洗いました。洗髪のことも泔と言うのはここからきています。その後は、本人は横になり、台になる物の上に髪を引き伸ばし、布でふき取り、火で乾かします。洗い、乾かすのに時間がかかり、さぞかし大変だったことでしょう。疲れて気分が悪くなることもありました。この場面の中君もそうでしたが、今は[ウ]女房に③櫛で梳いてもらい、髪をまっすぐにさせています。この女房も中君と同じような袿姿でいるのは、洗髪に奉仕していることを示しているようです。

絵に見入る浮舟 絵に見入っているのが[ア]浮舟で、その前には、①冊子の絵が広げられ、頁をめくるために左手が添えられています。この他にも④冊子が二冊あり、剥落してはっきりしませんが、⑤巻物も置かれています。彩色された絵は高価な貴重品でしたので、東国育ちの浮舟には、珍しかったと思われます。だから熱心に見入っています。なお、物語本文で浮舟の灯影の美しさが語られているように、本来は灯台も描かれるはずでしたが、場面構成上からか描かれませんでした。しかし、画面が剥落したために⑥下書きの灯台跡が見えています。

物語を読み聞かせる右近 浮舟は絵を見ていますが、話の詞書はどうなっているのでしょう。その詞書が、浮舟の手前にいる[エ]女房が両手で保持している⑦冊子になります。この女房が本文にありました右近で、冊子には文字だけが書かれていることが分かりますね。女房が詞書を読み聞かせ、姫君がその絵を見て楽しむのです。これが当時の貴族たちの物語鑑賞の実態を示すものとして有名です。

右端の二人の女房 続いて右端の[オ][カ]二人の女房を見ておきましょう。衣装は[エ]の女房と違っているようですので、洗髪には奉仕しない上臈(じょうろう)なのでしょう。[オ]の女房は⑧裳紐を見せて、⑨裳を着けており、正装です。[カ]の女房も同じ姿と思われます。この二人のことはあとで触れますので、これだけにしておきます。

室内 次に建物を確認します。画面左上角の⑩上長押に接する⑪柱には障子がなく、二間分以上続くことになります。そうしますと、⑫帽額の下まで⑬巻き上げた御簾の側が⑭母屋で、浮舟の座る側が⑮廂(西廂。後述)でしょう。母屋と廂の間に⑯下長押がありますが、ここでは段差になっていません。段差は身分の上下とかかわりますが、それをなくすことで異母姉妹の親密な関係を表わそうとしたのかもしれません。二人は⑰高麗縁の畳に座っています。画面中央には、⑱五幅四尺の美麗几帳があり、⑲野筋が絡まっていますが、「宿木(二)」段にもありますので、画面が単調になるのを防いでいるのだと思われます。

開いた障子の奥 さらに、画面中央上部を見ましょう。⑳柱間にある開いた障子の右側と奥に、さらに障子が見えます。いずれも敷居が見え、大和絵の同じ図柄になっています。開いた障子の奥は、対の屋では北側に置かれる塗籠となるはずの部屋なのでしょう。そうしますと、浮舟は⑮西廂にいることになります。

奥の部屋には繧繝縁の畳が敷かれています。この畳は天皇・上皇・親王用ですので、匂宮用となります。ここを匂宮の寝室とする説がありますが、寝殿にあったとすべきでしょう。障子は開けられたままなのは、匂宮が通ったことを暗示しているのではないでしょうか。匂宮は浮舟に迫りましたが、母の病気の知らせで見舞に行くことになったのでした。繧繝縁の畳と開いた障子で、匂宮とかかわった過去の時間を表現したと言えそうです。

画面の構図 最後に画面の構図を確認しましょう。画面は、右側の[オ][カ]二人の女房、中央部の障子と⑱几帳、左側の[ア]浮舟や[イ]中君たちというように三つに区画できます。左側は斜めの構図になっていて安定感に欠けます。これは、自邸にもいられず、画面中央で暗示されたように、中君邸でも匂宮に迫られるという浮舟の不安定な境遇を暗示するのかもしれません。しかし、今は中君のもとで熱心に絵を見て慰められています。

それでは、画面右側の[オ][カ]二人の女房はどう考えたらいいのでしょう。この二人の顔の向きや角度などは、浮舟と[エ]右近の二人ととてもよく似ていますね。似ていることを根拠として、浮舟は女房とよく似た境遇であることを示しているとする説があります。この顔の向きなどは、他の場面にも認められますので、パターン化された図柄のようですが、皆さんは、どう判断されますか。これは、絵はなくとも、浮舟と同じように物語に聞き入る姿勢となりますので、物語の興味深さをこの女房を描くことで補強しているのではないでしょうか。絵巻物は、まさに物語と絵です。絵師たちは、自分たちの存在証明とするかのように、こうした構図にしたのだと思われます。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。今回の場面では、「詞書を傍らで読むのを聞きながら絵を見る」という、いうなれば絵解き式のような、昔の物語の鑑賞方法を垣間見ることができました。次回は、「東屋」という巻名にも関わる場面、「東屋(二)」を取り上げます。ご期待ください。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております