日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第87回 内キャラと外キャラについて(続)

筆者:
2015年6月7日

前回述べたように,社会学者・土井隆義氏は「大人と若者は,自身の人格のイメージの仕方が違う。大人はアイデンティティのような一貫したものとしてイメージするが,若者はキャラの寄せ集めとしてイメージする」という旨を論じられる。だが,私の方は大人論・若者論を避け,大人・若者に共通して見られる一般的なものとして「キャラ(クタ)」を追求している。

このような土井氏と私の違いは,時代というものの扱いにも見られる。土井氏はあくまでポスト・モダンという時代にこだわられ,これまでにない新しい変化が現代の若者に起きていると考えられるようだ。ここでキーワードとして登場するのが,哲学者ジャン=フランソワ・リオタール(Jean-François Lyotard)の言う「大きな物語の崩壊」である。この概念について土井氏は特に説明を加えておられず,私のような門外漢には全面的な理解は難しいが,人間の理性に基づき世界全体を統一的に捉え説明できるはずと思われていたものが(大きな物語),どうも無理だと明らかになってきた(崩壊),と考えておけばとりあえずはよさそうだ。土井氏の文章を(1)に挙げる。

(1) このような現象は,物語の主人公がその枠組に縛られていたキャラクターの時代には想像できなかったことです。物語を破壊してしまう行為だからです。こうしてみると,キャラクターのキャラ化は,人びとに共通の枠組を提供していた「大きな物語」が失われ,価値観の多元化によって流動化した人間関係のなかで,それぞれの対人場面に適合した外キャラを意図的に演じ,複雑になった関係を乗り切っていこうとする現代人の心性を暗示しているようにも思われます。
振り返ってみれば,「大きな物語」という揺籃(ようらん)のなかでアイデンティティの確立が目指されていた時代に,このようにふるまうことは困難だったはずです。付きあう相手や場の空気に応じて表面的な態度を取り繕うことは,自己欺瞞(ぎまん)と感じられて後ろめたさを覚えるものだったからです。アイデンティティとは,外面的な要素も内面的な要素もそのまま併存させておくのではなく,揺らぎをはらみながらも一貫した文脈へとそれらを収束させていこうとするものでした。

[土井隆義『キャラ化する/される子供たち―排除型社会における新たな人間像』岩波書店,p. 23,2009]

これに対して私は,世代論だけでなく時代論にも消極的で,大きな物語が信じられていた時代,それが崩壊してしまっている時代を問わず,どんな時代の人間のあり方にも共通して見られるものとして「キャラ(クタ)」を追求している。

いや,人間が各々の時代から完全に独立でいられるとは私も考えてはいない。大きな物語の崩壊と聞けば,私にも思い当たることがないわけではないということは既に述べた(補遺第79回)。

大きな物語の崩壊は,私の言う「キャラ(クタ)」を生み出しはしないけれども,「カミングアウト」を許すものではあるかもしれない。つまり,どんな時代の人間のあり方にも「キャラ(クタ)」は認められるのだが,大人たちがそれを認められないのに対して,若者が次の(2)のように,「自分は実は状況に応じて変わってしまうのだ」と,「キャラ」という語でカミングアウトしてしまえることは,たしかに時代のせいなのかもしれない。

(2) バイトと普段のキャラ違う奴来い
1: こたぬき:12/06/03 15:37 ID:主
主はバイトではめちゃくちゃ暗いジミーだが学校では騒がしいキャラみんなはどう?
2: こたぬき:12/06/03 15:41
むしろ家,バイト,彼氏,学校全部キャラが違う

[//new.bbs.2ch2.net/test/read.cgi/kotanuki/1338705429/,最終確認:2015年5月25日]

言い換えれば,人間のあり方を意味する語として「キャラ」が浮上してきたのは,時代のせいかもしれないということでもある。

但し,繰り返し強調しておきたいのは,「キャラ」ということばができる以前から,「キャラ」的な現象はあっただろうということである。現代とは言えない,ちょっと古い時代の文学作品を敢えて持ち出し,そこにキャラ(クタ)が認められることを繰り返し論じてきたのは(そのことは本編第91回で詳しく述べた),まさにそのためである。私の考えでは,キャラ(クタ)は昔からあった。ただ,これまでは,ないことになっていた。それは「良き市民社会のお約束」のせいである。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。