日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第90回 機能主義について

筆者:
2015年7月19日

「ハサミの機能は?」と言われれば,「紙や布を切ること」などと誰でも答えることができる。だが,「秋の日の機能は?」「18歳の機能は?」と問われれば返答に詰まってしまうだろう。

機能という概念はどのようなものにも想定できるものではない。機能は,何らかの目的を達成するための道具が持つものである。「花びらの機能は?」と訊ねられ,多少とまどった上で「雄しべや雌しべを守ること」「虫を惹きつけること」などとそれなりに答えられるのは,「植物は種族を繁栄させるために自分の身体を道具のように使う」というそれらしい見立てに思い当たるのに時間がかかるからである。

多くのコミュニケーション研究や言語研究は「発話の機能」「言語の機能」といった概念を当然視する。だが,いま述べた機能の目的論的性質からすれば,これらの概念は私が無条件に受け入れられるようなものではない。私が「キャラ(クタ)」を持ち出すのは,「多重人格のような病理的な場合を除けば,人間は変わらない。人間が目的を果たすために,状況に応じて柔軟にスタイルを変えているだけ,そしてそのスタイルに合わせてことばを使い分けているだけである」という目的論的な説明に限界を感じればこその話だからである。

そんな私の「キャラ(クタ)」に関する講演を,こともあろうに「機能言語学者」たちが聞きに来ると聞けば,私でなくても驚くだろう。2014年4月4日,フランスのボルドーモンターニュ大学で開催された国際会議で,それは起こった。

だが結果的に言えば,私は随分と好意的に受け入れてもらえたようだ。というのは,フランスで私が受けた質問は,「おまえの言うキャラクタの考えは,コセリウとどう違うのか?」「おまえの言うキャラクタの考えは,バフチンとどう違うのか?」「おまえの言うキャラクタの考えは,批判的談話分析とどう違うのか?」といったもの,つまり「おまえの言うキャラクタの考えは,我々が知っているこれこれの考えと近いように思えるが,実際どうなのか?」というものばかりで,「おまえの言うことはさっぱりわからない。一体何を言っているのだ?」というものではなかったからである。

それに何より,私はこのフランスでの講演の「続き」を急遽,同年8月26日にスロヴェニアのリュブリャナ大学でやらせてもらえることになったのだから,「好意的」と言って間違いではないだろう。少なくともヨーロッパの機能主義言語学は,私が考えていたよりも懐が深く,いろいろな考えに寛容なもののようだった。(続)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。