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日本語・教育・語彙 第1回 日本語教育の民主化と語彙(1):マイノリティ心理の問題

2015年 9月 25日 金曜日 筆者: 松下達彦

第1回 日本語教育の民主化と語彙(1):
マイノリティ心理の問題

 コミュニケーションにはさまざまな「力」が働く。それが悪い形で現れると「言いたいことが言えない」ことになる。それは多くの場合、言語教育にはマイナスだ。

 教育の場にはたいてい先生がいて生徒がいる。先生は社会的に「力」をもつ「成績」をつける立場であることが多い。そのような力は教育の場から質問・議論や対話を奪う原因になる。頭が悪いと思われたらどうしよう、成績が悪くなったらどうしよう、と萎縮したら発言できなくなるだろう。

 知識や技術を持っていること自体が力だとも言える。例えば、原発のことを知りたいと思って、原子力工学の専門家に尋ねるとする。そこでいろいろと説明を受けても、専門家でなければ、それが正しいかどうかを評価できない。つまり知らない人間は、質問はできても議論はむずかしい。

 私の専門である日本語教育の現場にも、一つの見過ごせない「力」がある。それは「母語話者性」である。「日本語では△△とは言いません。○○と言います」という訂正は、ある程度避けて通れないが、やりすぎると学習者は縮んでしまう。多くの場合、学習者は教師の知識を評価することができないので、教師の言うことは絶対であり、それに従うしかない。

 日本語母語話者の日本語教師が、第二言語としての日本語[Japanese as a Second Language: JSL]の教育に、日本で従事する場合は特に注意が必要である。周りの多くが日本語母語話者であり、学習者は言語的少数者(マイノリティ)である。自分の言っていることは何か間違っているんじゃないかと、知らず知らずのうちに、常に意識するようになりやすい。また、生活や学習のために日本語が不可欠な環境であることが多く、日本語の正誤に敏感にならざるを得ない。敏感であることはある意味で必要だが、敏感になりすぎると萎縮する。教師によるマイノリティ心理への配慮が不可欠なのである。「日本語では△△とは言いません。○○と言います」あるいは、「日本では△△のようなことはしません。○○のようにします。」を言うべきかどうか、相手の顔を見て判断する能力が必要なのである。

 日本以外の場所で外国語としての日本語[Japanese as a Foreign Language: JFL]を教える場合、日本語母語話者の教師が教えていても、教師のほうがその土地では言語的・文化的に少数者であることが多い。例えば、中国で日本語を教えるとすれば、中国のことは学習者のほうがよく知っている。教室での話題が日本のことになれば教師のほうがよく知っていることが多いが、そのような話題になっても学習者が萎縮することは少ない。マイノリティが感じやすい心理的圧力がないからである。日本語が上達しなくても今日、明日の生活に困ることはない。教室では、教師対学生という力関係と多数者(マジョリティ)と少数者(マイノリティ)の力関係のバランスがとれる。

 このようなマイノリティ心理への配慮は、言葉の通じにくい、なじみのない土地で現地になじむ努力をして生活した経験を持つ人には理解しやすい。その土地の言語を学ぶ努力をして、上級レベルまで学んだ人であればなおさらである。失敗が続けば、たいていの人間はへこむ。日本語が通じないところで、その土地のことばを、非常な緊張感を持って使った経験のある人も多いのではないだろうか。日本語教師には日本語をよく知っていることも必要だが、母語以外の言語の学習経験(特にうんと格闘して上級レベルまで頑張った経験)もまた、学習者心理の理解という点において大きな利点なのである。

 次回はこのようなマイノリティ心理を緩和して、民主的な言語教育を実現するには語彙学習が大切だということを述べたい。

 

次回 >>

 

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【筆者プロフィール】

松下達彦(まつした・たつひこ)
自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル東京大学グローバルコミュニケーション研究センター准教授。PhD
研究分野は応用言語学・日本語教育・グローバル教育。
第二言語としての日本語の語彙学習・語彙教育、語彙習得への母語の影響、言語教育プログラムの諸問題の研究とその応用、日本の国際化と多言語・多文化化にともなう諸問題について関心を持つ。
共著に『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』(凡人社 2007)『日本語学習・生活ハンドブック』(文化庁 2009)、共訳に『学習者オートノミー―日本語教育と外国語教育の未来のために』(ひつじ書房 2011)などがある。
URL:http://www17408ui.sakura.ne.jp/tatsum/
上記サイトでは、文章の語彙や漢字の頻度レベルを分析する「日本語テキスト語彙分析器 J-LEX」や、語彙や漢字の学習・教育に役立つ「日本語を読むための語彙データベース」「現代日本語文字データベース」「日本語学術共通語彙リスト」「日本語文芸語彙リスト」などを公開している。

【編集部から】

「日本語・教育・語彙」は、今月から新たにスタートした連載記事です。
執筆者は、第二言語としての日本語を学習・教育する方たちを支える、松下達彦先生。
日本語教育全般のことや、語彙学習のこと、学習を支えるツール……などなど、様々にお書きいただきます。
公開は毎月第4金曜日を予定しております。

2015年 9月 25日