日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第95回 「ゆるキャラ」について(続)

筆者:
2015年9月27日

前回は「ゆるキャラ」について命名者・みうらじゅん氏の定義を紹介し,「ゆるキャラ」が物語を必ずしも伴わずに制作されるということを述べた。だがこの話は,「キャラクタ(ここでは登場人物の意)にとって,登場すべき物語は本当に必要か?」という問題意識のもとで述べたこと(補遺第78回第79回第80回)と重なっている。なぜ重なったかというと,今さらではあるが,「ゆるキャラ」の「キャラ」とは伊藤剛氏・相原博之氏・瀬沼文彰氏・土井隆義氏・暮沢剛巳氏らの言われる専門語「キャラ」や私の言う専門語「キャラ(クタ)」ではなく,いわゆる登場人物を指す一般語「キャラクタ」の略語だからである。

いかんいかん,話が重なってしまった,というわけで,「ゆるキャラ」独自の話をしよう。みうら氏の「ゆるキャラ」の定義を(1)に再掲する。

(1)  ゆるゆるのキャラクターを「ゆるキャラ」と呼ぶことにした。ちょっと待って,ゆるキャラの皆さん,怒らないでよく聞いて。
 ゆるキャラとは全国各地で開催される地方自治体主催のイベントや,村おこし,名産品などのPRのために作られたキャラクターのこと。特に着ぐるみとなったキャラクターを指す。日本的なファンシーさと一目見てその地方の特産品や特徴がわかる強いメッセージ性。まれには,郷土愛(ラブ)に溢れるが故に,いろんなものを盛り込みすぎて,説明されないと何がなんだか分からなくなってしまったキャラクターもいる。キャラクターのオリジナリティもさることながら,着ぐるみになったときの不安定感が何とも愛らしく,見ているだけで心が癒されてくるのだ。

[みうらじゅん『ゆるキャラ大図鑑』pp.2-3, 扶桑社, 2004]

第1段落は「ゆるキャラ」のゆるさを,第2段落は「ゆるキャラ」の地方性を述べたもので,まとめると,地方ゆえのゆるさが「ゆるキャラ」の定義の中核概念と言えるだろう。

みうら氏は第2段落では着ぐるみという形態にも触れられており,これも「ゆるキャラ」であるための前提と犬山秋彦氏は見なされる(犬山秋彦「はじめに ゆるキャラとは何か」犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』pp. 13-14,ボイジャー,2012)。だがここでは,着ぐるみという形態をとることは「ゆるキャラ」の定義には含まれないと判断しておきたい。

というのは,一つには,犬山氏が杉元政光氏とおこなったみうら氏へのインタビューの中で,みうら氏が「立体化しなくても,イラストだけで「ゆるキャラ」っていう考え方もある」と述べられているからである(特別インタビュー 犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』p. 386,ボイジャー,2012)。

また,みうら氏は別のところでも(2)のように,

(2) “ゆるキャラ”というのは決してミッキーではなく,決してキティではない,地方自治体が生み続けている,それはそれはゆる~いキャラクターのこと。

[みうらじゅん『キャラ立ち民俗学』角川書店, p. 85, 2013]

「ゆるキャラ」を地方ゆえのゆるさという形で,そして「着ぐるみ」への言及なしで紹介しているからである。(続)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。