絵巻で見る 平安時代の暮らし

第46回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く

筆者:
2016年2月19日

場面:新年の朝覲(ちょうきん)行幸に出発するところ
場所:平安京内裏紫宸殿と南庭
時節:1月2日?

建物・乗物:①紫宸殿 ②18級の御階 ③左近の桜 ④右近の橘 ⑤・⑫上長押 ⑥額 ⑦南廂 ⑧額の間(ま) ⑨筵道 ⑩南簀子 ⑪母屋 ⑬鳳凰 ⑭鳳輦(ほうれん) ⑮屋形 ⑯御帳(みちょう) ⑰轅(ながえ) ⑱綱 ⑲南庭
人物:[ア]黄櫨染の御袍(こうろぜんのごほう)姿の天皇 [イ]・[ウ]内侍 [エ]束帯姿の摂政 [オ]退紅(たいこう)姿の駕輿丁(かよちょう)の舁手(かきて) [カ]退紅姿の駕輿丁の綱取り [キ]束帯姿の左大将  [ク]束帯姿の右大将 [ケ]束帯姿の近衛府の次将 [コ]下襲の裾を引く次将 [サ]褐衣(かちえ)姿の随身 [シ]走る随身 [ス]束帯姿の文官の公卿 [セ] 束帯姿の武官の公卿(宰相中将)
着装:Ⓐ檜扇 Ⓑ草薙剣(くさなぎのつるぎ) Ⓒ笏 Ⓓ烏帽子 Ⓔ冠 Ⓕ下襲の裾(したがさねのきょ) Ⓖ・Ⓤ太刀 Ⓗ平緒(ひらお) Ⓘ券纓(けんえい)の冠 Ⓙ緌(おいかけ) Ⓚ弓 Ⓛ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓜ表袴(うえのはかま) Ⓝ靴(かのくつ) Ⓞ袍 Ⓟ半臂(はんぴ) Ⓠ藁靴 Ⓡ壷胡簶 Ⓢ垂纓(すいえい)の冠 Ⓣ石帯

はじめに これからしばらくは『年中行事絵巻』に描かれた内裏の様子を見て行くことにします。今回は紫宸殿から朝覲行幸に出発する場面を採り上げます。天皇が父上皇や母后の御所に赴いて面会する朝覲行幸については第17回で扱いました。そこで取り上げました法住寺南殿が、今回の行幸先になります。

紫宸殿からの出発 朝覲行幸に限らず行幸は、紫宸殿から威儀をただして出発しました。画面右の建物が、内裏の正殿となる①紫宸殿です。②18級の御階がありますので、それと分かりますね。この手前に見えるのが③左近の桜、上部が④右近の橘でした。御階の上の⑤上長押にかかっているのは、「紫宸殿」と書かれた⑥額です。額が掛けられた⑦南廂中央の柱間一間(いっけん)分を⑧額の間と言います。ここには、天皇が通るための⑨筵道が⑩南簀子まで敷かれています。

紫宸殿内部は、吹き抜き屋台の技法で描かれていますので、[ア]天皇が⑪母屋から額の間に出てきた様子が見えます。天皇の全身が描かれるのは、珍しいですね。天皇の上部は、母屋の⑫上長押です。天皇は、晴の時の束帯に着用する、黄褐色の黄櫨染の御袍姿になっています。両側にⒶ檜扇をかざして控える女性は、女官の内侍です。手前の[イ]内侍は、三種の神器のうちの宝剣となるⒷ草薙剣を、奥の[ウ]内侍は画面では分かりませんが神璽となる八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)を、それぞれ保持しています。この剣璽は、天皇と一緒に移動します。⑦南廂にⒸ笏を持って[エ]束帯姿で坐っているのは、摂政でしょう。

天皇用の鳳輦 天皇は、穢れを避けるために、正式には地面に着く車には乗りません。人々が肩に担ぐ輿(こし)に乗って移動します。晴の儀式での天皇用は、方形の屋根の上に飾りとなる⑬鳳凰がある⑭鳳輦です。鳳輦には、⑮屋形の三方に⑯御帳が垂らされ、かつぐための縦五本、横二本の黒漆塗の⑰轅が付きます。

さて、何人でかついでいるでしょうか。答は、[オ]舁手と呼ぶ実際にかつぐ者が12人、四隅の屋根から垂らされる⑱綱を取る、[カ]綱取り10人になります。綱は揺れを防ぐためです。これらの者は、かつぐための肩当てをつけ、薄紅色の布狩衣(ぬのかりぎぬ)を着た退紅姿で描かれていて、駕輿丁とも輿舁(こしかき)とも呼びました。Ⓓ烏帽子の人と、Ⓔ冠の人がいますが、この違いはよくわかりません。

それでは、天皇はどのようにして鳳輦に乗るのでしょうか。絵にヒントがあります。⑨筵道を見てください。②御階には敷かれていませんね。ということは、鳳輦は⑩南簀子から乗れるように、そこまでかつぎ上げられたのです。御階の上に位置する駕輿丁は、うつぶしてかつがなくてはなりません。その苦しげな姿を人ごとではないと見つめたのが紫式部でした。『紫式部日記』にそのことが記されています。

供奉する武官たち 行幸には多くの武官たちが警護にあたり、王卿たちも供奉しました。それらの⑲南庭にいる人たちを確認しましょう。内裏南庭を守備するのは近衛府とされましたので、武官姿は左右どちらかの近衛府の官人になります。

左近の桜の側に立つのが[キ]左大将、右近の橘の側は[ク]右大将になります。黒の袍を着た束帯姿で正装した近衛府の長官ですね。右大将を見てみましょう。Ⓕ下襲の裾を長く引いた束帯姿で、前にⒼ太刀を佩くためのⒽ平緒が垂れているのが分かります。Ⓘ券纓の冠にはⒿ緌が付き、Ⓚ弓を保持して、矢を入れるⓁ平胡簶を背負っています。絵でははっきりしませんが、鷲羽の矢が左近衛府用、鷹羽が右近衛府用とされていました。履物もはっきりしませんが、靴(かのくつ)になります。

駕輿丁たちの回りにいる武官は、[ケ]近衛府の次将(中将や少将)たちです。大将と同じ姿ですが、こちらはⓂ表袴をはきこんだⓃ靴がはっきり見えます。表袴の上、Ⓞ袍の下に見えるのはⓅ半臂です。下襲の裾を長く引いている[コ]人と、そうでない[ケ]人がいますね。長く引いていない人は、折り畳んで太刀の鞘にかけているのです。

大将の近くに坐って待機しているのは、下級官人でもある大将の[サ]随身たちでしょう。袍に似た形で腋を縫わない褐衣姿で、Ⓠ藁靴を履き、矢はⓇ壷胡簶に入れています。一人だけ走ってきた[シ]者がいますが、どうしたのでしょうか。もしかしたら遅参したのかもしれません。『年中行事絵巻』は、こうした姿も描いたところが面白いのでした。

画面右下に列立している束帯姿は、供奉する公卿たちです。[ス]文官も[セ]武官もいますね。文官の人は、券纓ではなくⓈ垂纓の冠になっています。背中にはⓉ石帯が見えますね。Ⓤ太刀を佩いているのは、勅授帯剣(ちょくじゅたいけん)を特に許されているからです。武官は宰相中将になります。武官で三位以上の公卿になるのは、大将を除くと参議で中将を兼ねた宰相中将しかいませんので、列立しているのは、その人になります。

行幸の道 天皇が鳳輦に乗ると出発です。内裏南門の承明門(じょうめいもん)をくぐりますと、今度は兵衛府の管轄になり、さらに内裏外郭の正門となる建礼門(けんれいもん)をくぐりますと衛門府に変わります。近衛府・兵衛府・衛門府の役割の違いがわかります。これらの場面も機会がありましたらこのシリーズで取り上げたいと思います。今回は近衛府の管轄となる内裏南庭からの行幸出発の次第を見たことになります。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
『三省堂全訳読解古語辞典』〈第四版〉、『日本国語大辞典』(小学館)、『新編日本古典文学全集』(小学館)、『角川古語大辞典』(角川書店)、『源氏物語図典』(小学館)などをはじめ、数多くの辞書事典類の図版や絵巻描き起こしを手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回からは、内宴(忙しいお正月行事の後で天皇が内々に催した、慰労会のような宴会)の場面を取り上げます。まずは、公卿や文人たちが、与えられた題によって漢詩を作り、天皇の前で読み上げて披露する「献詩披講」から見て参りましょう。どうぞお楽しみに。

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